祈り

祈り

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「華やかさの一寸先は闇」

 

いつだったか、スポーツ選手のことをこんな風に例えていた人がいました。
潔い程に結果が必須。

 

やり直しの利かない一発勝負。

勝てば天国、負ければ地獄。

良し悪しも全公開。

 

常時交感神経が優位な精神状態で、しばしば何かに縋りたくなる、肖りたくなることがあります。

 

運気の上がると言われている場所、ジンクス、お守り。

それは側近の家族やサポーターも皆同じ。

異なるのは、プレイヤーと同じだけの気持ちはのせられても、自身がピッチに立っている訳ではないこと。

 

近いようでいて、遠い距離感。

けれど試合結果には一喜一憂。

 

達成感や安堵感のようなものに加え、時には

 

「こんなに想っているのに

こんなにやっているのに

こんなに応援しているのに」

 

何処にぶつけようもない、もどかしく、いたたまれない感情に苛まれたり、激しく消耗することもあるかもしれません。

 

夫に常々話しています。

忘れないでいてください。選手だけが悔しいのではないです。
貴方の人生は誰のものでもない、貴方のもの。実際のプレイヤーにならない限り、家族でさえ、真の意味で共有することは出来ないのかもしれないけれど、自分のことを、自分以外の誰かが願い、祈り、応援してくれることはとても幸せなことですと。

 

アテネオリンピック。

最終予選で落選してしまいましたが、北海道で18年間一緒に暮らしていた祖母が、夫が選ばれるよう、毎朝お祈りしてくれていたことを他界してから知り、涙が溢れて止まりませんでした。

きっと祖母と同じように、静かに祈りを捧げてくれた人が他にもいたはずです。

 

ある奥さんは、毎試合前、必ず、ご縁ある神社にお祈りにいっています。それを選手は知りません。

 

スポーツの世界でなかったとしても皆同じ。

 

例えば母が子を想う気持ち。その逆もまた然りです。

 

見えなくても、言葉にしなくとも、生涯伝えることがなかったとしても、何処かで自分のことを想い、祈ってくれている人がいるかもしれないのです。

切なさに似たようなものでいて、優しく、温かなこと。

 

私は、自分以外の誰かを本気で想える人は、その人も、誰かから祈って貰えていると。

本当の想いは、遅かれ早かれ、必ず伝わるものだと信じています。

 

そんなことを巡らせながら、毎日ご飯作りに努めています。