ドーピング・コントロール

ドーピング・コントロール

上の写真は、まだ横浜で暮らしていた頃(2008年)東邦大学薬学部併設の薬草園を見学に千葉県へ行った時のものです。農薬がかかっていないので薬草園のハーブはそのまま摘んでお茶にしていただくことが出来ました。この時のフレッシュハーブの豊かな香りを今でも忘れることが出来ません。

アロマテラピーやハーブに止まらず、東洋医学にもふれた東邦大学薬学部小池教授から貴重なお話を聴かせていただくことができました。

●ヒルデガルド

http://www.omochabako.co.jp/sonnentor/sonnentor_world/hirdegard

ヒルデガルドの植物を学ぶ会に参加した1番の目的。当時ハーブを勉強するためニールズヤードレメディーズみなとみらい校

●ニールズヤードレメディーズ

https://www.nealsyard.co.jp/school/aroma/advanced.html

にて、アロマテラピーインストラクター取得後、代官山プレミナセラピストスクールでスポーツアロマの第一人者でもある神崎貴子先生

https://puremina.com/blog/profile

●公式ブログ

http://puremina.com/blog/

に教わり、スポーツアロマトレーナー資格を取得。ハーブとアロマテラピーを組み合わせることにより、互いに無いものを補い合ったり、相乗効果が生まれることを学習してきました。植物には治癒力、すなわち植物が自らの体を癒す生体防御や抗酸化作用があります)

自由が丘のグリーンフラスコでハーバルセラピストコースを受講中でしたが、スクールのトップで、ホリスティック医学としてのアロマテラピーや、ハーブ療法の普及に取り組んでいる林真一郎先生も薬草園にいらっしゃるとのこと

●グリーンフラスコ

http://www.greenflask.com

●林真一郎先生プロフィール

http://www.greenflask.com/page/$/page_id/652/

ハーブとドーピングの関係について何点かお尋ねしたいことがあり、こういった機会でもないとなかなかお忙しい林先生とはお話出来ないと思ったからでした。積極的なケアに取り組みたいと思っても、ドーピングに関与するようなことになっては本末転倒です。

ご相談させていただいた結果、親身になってくださった林先生が、神戸薬科大学の自然療法とドーピングを研究している教授をご紹介くださり、後日、その先生に直接質問したりお話が出来るようになったことがあります。

スポーツ選手はドーピング・コントロールにより「薬」を使用することが禁じられています。風邪をひいた場合でも、チームドクターが処方してくださるドーピングに関与しない薬のみ服用ができます。漢方薬なども使用できず、口にするものや体に塗布するもの(整髪料、育毛剤、目薬、歯磨き粉、一般に市販されている清涼飲料水なども)には細心の注意を払わなければなりません。

夫は特に慎重。例えをあげるなら、スーパーフードのような攻めのケアだったり、新しい何かをコンディション管理に取り入れたいと私が提案したとします。成分をしっかり確認出来たとしても、夫本人が所属チームに確認するという更に念入りな作業を必ず行います。チームからOKが出ても、夫自身がしっくりこないものは、結局ボツになったものもこれまでたくさんありました。

現在所属している日本スポーツアロマトレーナー協会からも、選手の体に直接触れるからには

●日本アンチドーピング機構

http://www.playtruejapan.org/

のホームページで、随時、禁止薬物をチェックするように指導されています。

オリンピックで使用されたこともある精油(バーチ・ウィンターグリーン)でも、個人の判断で使用せず、まずは所属チームに確認。2007年から2008年は、所属チームに申請してから使用できるようになるまで、約3ヶ月かかりました。

バーチ・ウィンターグリーンの含有成分に、サリチル酸メチルがあるのですが、これはアスピリン擬似成分で、文献の中にはサリチル酸メチルはドーピングにかかる可能性があると記されているものもあるからです。強い鎮痛効果からそういった解釈がされたようですが「日本アンチ・ドーピング機構」に問い合わせたところ、サリチル酸メチルはどの競技においても禁止薬物には指定されていないとのことでした。(これは2008年の話。今から選手のケアに使用される方は必ず専門機関への確認と共に、所属チームに許可をとってください。NGが出たら潔く諦めましょう)選手へのケアは、全てにおいて、これ程までに慎重でなければいけません。

スポーツアロマトレーナーの資格取得後、世界陸上の直前合宿に帯同させていただいたことがあるのですが

※その時の様子が四国新聞さんの記事に残っていました。

http://www.shikoku-np.co.jp/sports/local/article.aspx?id=20070822000111

http://www.shikoku-np.co.jp/sports/local/photo.aspx?id=20070822000111&no=4

夫以外の、しかも他競技のトップ選手の体を触る機会は私にとって大変貴重な経験でした。特に印象に残っていることは、女子ハイジャンの選手は非常に背が高く、筋肉も細くしなやかでした。また、男子ハードルや短距離の選手は、上半身は夫よりもひとまわりもふたまわりも大きく、大腿の辺りはさほど変わりませんが(夫の大腿の1番太い部位を計ってみると60センチ以上あり、私のウエストよりも太いです)下腿が大腿に対してかなり細いと感じました。筋肉に弾力があるというか、バネのような感触があって、実際に触ってみて衝撃を受けました。

海外のアスリートはアロマテラピーをコンディショニングに利用する選手も多く、中でも好まれるのは身近にある柑橘系の香りです。私はこの時のお気に入りだったフラゴニアという精油を持って行き、ブレンドに加えていたのですが、選手の反応も上々で、他のトレーナーや鍼灸師の方からの評判も良かった記憶があります。

また、この時期夫はというと、腓骨腱炎を患っており、毎晩、氷水にカモミールジャーマン、ヤロウを数滴足してアイシング(インターバルは1時間)その後、ウィンターグリーンを使ったパフュージョン(クレイパック:クレイには抗炎症作用、細胞成長促進作用、赤血球を増産させたり、免疫を強壮する作用があると言われています)で痛みの緩和ケアを、最後に背面と下肢前面のスポーツアロママッサージを施していました。

合わせて、アーユルヴェーダやその他の自然療法も勉強していたので、可能であればバッチフラワーレメディなども夫に試して貰いたかったのですが、世界的に普及しているアロマテラピーに比べ、こちらはまだ未知の領域ということもあり、チームからの許可はおりませんでした。(2007年の話です。海外移籍経験のある選手の話によると、海外ではレメディやホメオパシーをコンディショニングに利用する選手もいるとのこと。しかし、今から選手に使用したいという場合は、必ず所属チームや専門医に許可をいただいてからです)

サプリメントでもチームドクターによってOKが出るものと出ないものがあったりするので(例えあげるなら、海外製のサプリメントの中には表示が曖昧なものもあり、信頼性の問題や本当に安全なものかどうかを調べるのが不可能であったり、可能だったとしても成分を割り出すのに膨大な時間を要する為。その点、アンチドーピング機構認定商品に関しては◎)サプリメントの服用を始める時は、必ず所属するチームドクターやチームトレーナー、チーム専属管理栄養士さんにGOサインをいただいてから。それ以外はNOと判断した方が良いでしょう。

2004年日記から 怪我回復食

2004年日記から 怪我回復食

初めてメディア取材を受けたのは2005年。管理栄養士、川端理香先生の書籍、怪我回復食について。川端先生との対談方式でした。

「川端理香」

(管理栄養士/プロスポーツ栄養士)

経歴

昭和女子大学短期大学部食物科学科 卒業

栄養士免許取得

筑波大学科目履修生

運動生理学、生化学等を学ぶ

昭和女子大学家政学部生活科学科 卒業

管理栄養士免許取得

東京大学農学部分析化学研究室 研究生

その他、東京大学(駒場)体育科にて、体力測定・データ処理等の補助をしながら、サッカーなどの競技の特性を学ぶ。

WATSONIA(ワトソニア)代表。日本オリンピック委員会強化スタッフ、チーフ管理栄養士として2004年アテネオリンピックでは水泳の北島康介選手や全日本女子バレーボールチームを、2008年北京オリンピックでは全日本男子バレーボールチームをサポート。浦和レッズや東京ヴェルディ1969などのJリーグサッカーチームや、個人選手の栄養・食事指導のほか、「カラダが喜ぶ毎日ごはん(エクサボディ)」「10日間カンタンバランスメニュー(エクサボディ)」「勝てるカラダをつくる!10代スポーツ選手の栄養と食事(大泉書店)」など書籍の監修、食育をテーマに学校や地域での講演・セミナーも行う。現在、東日本大震災復興支援の一環として「部活をする子どもたちを応援しようプロジェクト」で協力をよびかけている。 公式ブログ[Happy Foods]

その後、2009年に日刊スポーツさんでコラーゲンスープについての取材を受けました。この時は、クコの実や松の実を入れた骨つき肉と牛スジのスープを作りました。

上は椎間板ヘルニアの回復食。2006年手術後の写真です。全ての食材が腰に良いとされるもの、また、その吸収率をアップさせる食材で繋いでいます。湯葉の生春巻き風。

栄養価抜群で抗酸化作用のあるスプラウトを用いたり、生野菜(大葉、サラダほうれん草、にら、人参)を細切りに。湯葉で巻きます。湯葉は優れた栄養食品です。

レバーとにんじんの煮込み。レバーには体を温める作用が。脂肪も少なく足腰のだるさを軽減。玉ねぎ、にんにくをみじん切りにし、トマトもみじん切り。人参はスティック状に切ります。鍋にそれぞれを炒め、赤ワインで煮込みます。

タウリンが豊富なあさりは様々な料理に使いました。アスパラギン酸も摂取。

関節ケアにはネバネバ食品を用います。朝食の納豆はこんな感じでひと工夫。腰に良いとされるエビをいれてみたり、おくらをいれてみたり。鰹節も◎です。

アーモンドがポイント。血流アップに欠かせないビタミンEが豊富。かぼちゃにも活性酸素を除去し、身体を温める効果が。

エビ、イカ、タコは、高タンパク低カロリー。リハビリ食で頻繁に摂取。ネギにも身体を温める作用があります。

ラムひき肉、豚ひき肉、にんにく、パセリ、パプリカ、玉ねぎ、セージ、クミン、フェンネルシード、塩胡椒。カルニチンが豊富なラム肉で体脂肪の蓄積を予防。基礎代謝量のアップを。フェンネルは痩身効果が。減量期、リハビリ期に。

濃い目のハーブティー(カモミール、レモンバームなど)を入れ、蜂蜜と水溶性食物繊維が豊富な健康食材粉寒天を入れて混ぜます。ハーブを用いた手軽なヘルシーデザート。

絹豆腐のサラダ。アボカド、トマト、ブロッコリー、サラダほうれん草、ナッツ。オイルは抗炎症作用のあるオメガ3脂肪酸のフラックスシードオイルも用いて。

2008年頃からでしょうか。怪我からの復帰食や食事管理について、アドバイスを求められることが多くなりました。2010年からサッカーダイジェストテクニカルにて栄養レシピの連載が開始。

他チームや他競技も含めると、本当にたくさんの選手ファミリーと関わる機会があったように思います。夫と同じ大怪我(靭帯断裂)をした家長昭博選手には、しっかりとした資料も作らせていただきました。

アドバイスを求められた時、我が家では夫婦で役割分担をしています。夫はリハビリの仕方や復帰までの身体の持っていき方、心身のケアについて。私は怪我回復の為の食事面でのケアを担っています。

プロ野球の矢野謙次選手にアドバイスさせていただいた時は、間に日刊スポーツの記者さんが入っていたこと、また異なるスポーツでの交流ということで、新聞記事への掲載も。

その様子が分かる記事が1つ残っていました。

http://news.biglobe.ne.jp/entertainment/0218/jc_110218_5165257838.html

 

フロンターレとジャイアンツのキャンプは同じ、宮崎県総合運動公園で行われている。この日は、山瀬の滞在するホテルに矢野が訪ねてきてくれた。2人はかねてから親交がある。矢野が膝の怪我をしたときに、知り合いの新聞記者を通じて知り合ったのだ。山瀬がリハビリの仕方や栄養管理の仕方などを教えて以来、今でも家族ぐるみの付き合いが続いている。

「矢野さんの野球に対する考え方、プロスポーツ選手としての考え方などは、ジャンルは違えど、同じスポーツを舞台にして戦っている僕にとって、本当に参考になる」

この日も時間が経つのも忘れ、2人で話に没頭できた。矢野からはユニホームもプレゼントされて、必ず東京ドームに応援に行く、と山瀬。そして矢野にも、フロンターレの応援にぜひ来てほしい、と呼びかけている。

ここからは2004年当時の日記を振り返ります。

●記憶

2004年9月19日

https://yamaserieko.cookpad-blog.jp/articles/115983

何をしていても、何を考えていても、あとからあとから止めどなく涙が溢れてくる。ご飯も食べられず「泣く」という行為しか出来なかったのは何年ぶりのことだろう。当たり前の生活、当たり前の日常がどれだけ幸せだったかを、この年になって改めて痛感している。本当に大切なものは失った時に初めて気づくものなのだろうか。しかしながら時間が経つとやがてその傷は癒え、人は再び恩を忘れる。今の自分は、まるで出口の無い迷路にでも入り込んでしまったかのように先を見つけ出す事が出来ないでいる。再生しても、また大きな力によって破壊されることを恐れていたのだ。どんなに嘆いても、どんなに悔やんでも、今はもう元気にピッチを駆け回る夫の姿を見る事が出来ない。

実家から電話をかけてきた母がこう言った。

「生きていれば何とかなるものなのよ。あなた方は別に死んでしまった訳じゃない。与えられた状況の中で精一杯また頑張ればいい。どんなに悩んだって結局のところ何かが変わる訳じゃないのよ。そう考ると悩むのが馬鹿らしくなるものよ。」

大変な時期を乗り越えてきた母の、妙に説得力のある言葉だった。それ故、心の何処かでほんの少しだけ諭されたような自分がいて、受話器の生温さに「母」を感じながら思わず号泣してしまっていた。

病院に向かうタクシーを呼び寄せ、一足先に埼スタの関係者入り口で夫が来るのを震えながら待っていたあの時、自分の目の前で繰り広げられる急激な環境の変化に眩暈さえ覚えていた。これは夢なのかもしれないと、都合よく現実から逃れようとする自分の弱さと無力さを感じざるを得ない。

どれくらいの時間が経ったのだろうか。重い扉の向こう側から、松葉杖で仁賀ドクターに支えられた夫がやってきた。そして、私の顔を見るなり「ゴメン・・」と蚊の鳴くなような声でひとこと言った。その目は、いつもに増して垂れ下がり、目尻の先の方が潤んでいるようにも見える。「ブチっていったの・・・?」この言葉をどんな思いで発したのかも覚えていない。ただ、靭帯が切れた時にブチっという鈍い音がするという知識だけが、経験上脳裏に焼きついていたのだろう。「うん、いった・・・ブチっていった・・・。」更に小さくなった功治の言葉を聴いた瞬間、意識が遠のいていくのが解った。

そこから病院へ向かうタクシーの中で、私は、他に人が乗っているのも忘れて号泣した。その間、功治がずっと横で謝りながら手を握っていてくれたような気がする。MRI中、30分以上1人で外で待っていた事も、ドクターの懸命な説明への聞き取りも、全て朦朧とした意識の中で「こなした」とでも言えばよいのだろうか。「靭帯切断したその日は痛くなくてその次の日が痛いんですよね?」と先生に尋ね「靭帯についてこんなに詳しい夫婦もなぁ(苦笑)」と言われたような、そんな断片的な記憶しか残っていない。

私は勝手に「功治はもう大丈夫」なんて思っていた。人生に「大丈夫」という言葉ほど不確かなものは無い。それを1度は経験しているはずの人間がこの有り様だ。

浦和に来て間もない頃は、走っている功治を見ていられるだけで幸せだったはずだ。それが、復帰して調子が上がってくると、本人はもちろんの事、私までも「欲」が出てきてしまっていた。

「もっと出来る、もっとやれる」

それはこの世界にいる以上、必然的な事なのかもしれない。それでもあの時の、再びピッチに立てた時の喜びを忘れてはならなかったのだ。

空は見ていたのだろうか?だから日々精進し、人一倍努力した彼に、酷とも思われる同じ試練を再び与えたのか?

もう1日も同じベッドから起き上がる事が出来ない自分の心の脆さの中で、必死にこんな事をとりとめもなく考えていた。

そんな私とは裏腹にテレビゲームに夢中になっている功治。「落ち込まないの?」と聞いても「落ち込んだってしょうがないじゃん。なっちまったものはやるしかないだろ。」と、決まって同じ答えが返ってくる。

思い起こしてみればちょうど2年前、夫から同じ台詞を聞いた事があった。その時に私は「なんて精神力の強い人なんだろう。この人だったら絶対にまた復帰できる!」そう思っていたではないか。2度目とは言えどもあの時と何ら変わることのないすさまじい精神力と運を、何故信じてあげられないのだろう。

決して後ろを振り向く事をしない夫の、いつもと同じ様に坦々と生活をする姿に、ようやく一筋のヒカリを見出せたような、そんな気がした。

「悩んだって、何かが変わる訳じゃないのよ」

母の言葉をもう1度自分の胸で繰り返した。真っ赤に腫れ上がった顔から乱暴に涙を拭い去り、ようやくベッドから起き上がった。

功治が自分を心配し、買ってきてくれたお弁当は、お世辞にも美味しいと言えたものではなかったが、1日ぶりの食事に気がつくと、インスタントのお味噌汁まですっかり飲み干してしまっていた。9月19日の出来事である。

●手術

2004年9月27日

いよいよ手術の日の朝を迎えた。つい数週間前までの私には、27歳の幕開けをまさか病院で過ごすことになるとは思いもよらなかったことだ。しかしながら今は、この人と結婚した以上、この先も突発的にこういう場所へ足を運ぶ事があるのだろうなと、自分が置かれている立場を冷静に見つめられる余裕も出てきている。これが何日か前までこの世の果てかと思う程落ち込んだ人間とは到底思えない。自分にもやっと耐性がついたのだろうと思いつつも、実際は、ただ単に流れていく時間に1人置いていかれないよう、また自身の存在が夫の妨げにならぬよう、無意識に体が反応しているだけなのかもしれない。

手術に立ちあうのは今回で3度目になる。1度目はちょうど2年前の右膝の前十字靭帯断裂と内側の半月板の損傷、2度目は、浦和に移籍してきてから6月に再び右膝の半月板の損傷、そして今日、左膝前十字靭帯の再建手術に臨む。

手術も3度目にもなると、側近で見ている私にも恐怖は無い。術後の経過からリハビリ復帰までの大まかな流れをつかんでいるからである。しかし、例え経過が順調だとしても、靭帯断裂の怪我からの復帰には約1年かかり、パフォーマンスを取り戻すのにも膨大な時間を要する事もある。そこに至るまでのいくつかのプロセスを知るがゆえ、私自身「怪我をした」という事実へのショックよりも「やっとパフォーマンスを取り戻しかけていたのに、また1からやり直し」という絶望感の方が強かったのは隠しようの無い事実である。

夫曰く「裏を返せば怪我をしてもあそこまでのパフォーマンスは取り戻せた訳だから。それを少なからずともプレーで証明出来たのだから、今度も大丈夫だ。」と言い放つ。夫の精神状態は常に高いところにあり、ついていくのに必死だ。

そんな夫でも、手術前はさすがに緊張の色を隠せない。横たわっているベッドへカメラを向けると、いつもの様に決まってピースをしてくれたが、どことなく弱々しい。顔も白く強張っているようにも見える。

 

やがて、時計の針は約束の9時30分を示し、看護婦さん達がやって来た。

「一緒にいかれますか?」との問いかけに「ここで待っています。」と応えた。

 

これから始まろうとしている手術が、貴方の真の意味での「始まり」でありますように。

 

そう祈りながら、夫を病室から送り出した。

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「もう少ししたら戻りますから」

慌ただしくドアを開けながら看護婦さん達が戻ってきた。時刻は13時5分。所要時間は約3時間半というところか。2年前、札幌の整形外科で受けた右膝前十字靭帯再建手術よりも、3、40分程早いようだ。あの時は内側の半月板も損傷していて、予定終了時刻より2時間もオーバーするという異例の大手術だった。

私はというと、側近の人の初めての手術という事に付け加え、予定時刻が過ぎても終わらない手術に「何かあったのでは?」と大きく動揺していた事が未だ記憶に新しい。

手術は無事終了し、予想されていた半月板の損傷も比較的小さなものであり、骨の表面を軽く削った程度とドクターから説明を受け、ほっと胸をなで下ろした。

酸素ボンベをつけた夫だが、かろうじて意識があった。全身麻酔は完全に抜け切れるまで、例え意識が戻っていても、話した言葉を覚えていないという特性がある。うっすらと開いた目に「終わったよ」と声をかけると、ニコッと笑顔を見せ、以前の手術後とは大きく違った様子を見せた。手術にも「慣れ」があるのだろうか、それとも麻酔に対して免疫が出来たという事なのか。いずれにしてもあまりの変わりようにこちらが驚いた程だ。

15時になった頃には意識もかなりはっきりしていた。痛みも以前に比べて少ない事に、夫自身も驚いていた。熱も38、39度を予想していたが、37度5分と低い状態が続いていた。

先生のチェックが16時に入り、ようやく水から飲み物を口にする事が出来るように。本来であれば手術日は夕食を摂る事が不可能だが「お腹空いた」を連発する功治に、先生が特別に「消化の良いパン1個なら」と食事を許可してくれた。

昨年、右膝の半月板の手術をした時には、病院の目の前に、確かスーパーがあった。昔ながらの生協に近い食品店で、規模は小さかったが大いに活用させて貰っていた。しかし今は、その姿は無く、代わりに薬屋さんが建っている。のぞいてみると、野菜や魚等の生鮮食品は取り扱ってはいなかったが、パンやヨーグルトなんかが置いてあった。そこから夫が好きな「北海道チーズ蒸しパン」をチョイスし、急ぎ足で病院へ戻った。

面会時間の最終時刻は20時だが、手術日という事で、特別に21時までの許可を貰った。足の痛みも次第に増し、熱も多少上がってきた為、氷枕を貰った。

傷が痛むのか、夫の顔に歪みが出るようになる。しかし、痛み止めの注射も決められた時間をあけないとうっては貰えない。こうなると見ているこちら側も辛い。

迎えた21時。容態が気になるところだが、面会時間は守らなければならない。看護婦さん達に挨拶をし、病院を後にした。

「明日は元気な功治が見られるのだろうか」

帰り道のタクシーの中で、窓に反射されたイルミネーションの揺らぎを見つめていた。

こうして12時間に及ぶ、長い長い病院での1日が終わった。

●激動

2004年9月28日

手術から一夜明け、再び川口工業総合病院へ向かった。朝のメールで功治から「痛くて眠れなかった」とひと言だけ入っているのを見た時、昨夜の帰り際の不安気な顔が鮮明に思い出され「やっぱり」という思いでいたが、行ってみると思いの外元気な夫に会う事が出来た。多少顔に疲れは残っているものの、表情は柔らかく、出された食事も残さずしっかり食べている。

食事が終わると早速先生がやってきて、リハビリの流れを説明し始めた。札幌の整形外科では術後1週間は膝を固定し、動かすことすら許可されていなかったが、川口工業総合病院では何と、術後1日目から特殊な機械を使って膝を動かすリハビリを始める。病院によって、リハビリのやり方が大きく異なってくるものなのだろうか。こちらの不安を他所に功治は膝を動かす事ができ、とても嬉しそうだ。

 

午後過ぎになり、夫の容態が急変した。急激な痛みを訴え始め、顔から笑顔が消えた。普段は弱音を吐くことをしない人だが「痛い、痛い」と顔を歪ませ、脂汗のようなものも滲み出ている。どうやら午前中のリハビリで、膝の曲げ伸ばしを無理をしてやり過ぎてしまったようだ。しだいに熱も上がり、午後のリハビリを急遽キャンセル。苦しむ夫をベッドの上に寝かせ、急いで看護婦さんを呼んだ。

やはり、術後は順調だからといって容態を甘くみるとこうなってしまう。ましてや本人はリハビリをやりたくてたまらないのだから、多少の痛みがあろうとそれを周囲に漏らす訳が無い。

私はトレーナーの方に「痛くても痛くないと言う人なので、勝手に1人でどんどんやらないよう上手く誤魔化し、セーブしてあげてください」と話した。痛み止めの座薬を挿したが痛みは増すばかり。一向に良くならない。

看護婦さんに「私はこれで帰ります。痛がっているので申し訳ないのですが、後は宜しくお願いします」と挨拶すると、看護婦さんも「すべき事はしたので痛がってももう何もしてあげられない」といった困惑した表情で「わかりました」と返してくれた。

 

(帰宅後)

浦和レッズ専属栄養士である川端理香先生からの指示を受け、復帰に向けて全力で取り組んでいく。トータルは2800キロカロリーに抑える。

◎痛みや腫れにビタミンC、ビタミンA、ビタミンE食材を摂取。(細胞を修復し炎症を抑える効果が)ビタミンB6も吸収には必要。

◎患部に負荷がかかる、消費カロリーが格段に落ちるためウエイトが増えないよう簡易的にできることとして炭水化物は普段の1/2までカット。

 

◎靭帯の成分はアミノ酸。食事でたんぱく質を含むものを1、2品追加することが必要。病院によって設定栄養価が違うので、病院食を必ずチェックすること。コラーゲンスープ+C要素を特に意識

◎病院食に追加していく食材:プロセスチーズ、低脂肪ヨーグルト、ミニトマト、焼き魚、味噌汁の具材を臨機応変に(主に緑黄色野菜を追加)茶碗蒸し、温泉卵、いちご、オレンジ、グレープフルーツ、アスパラ、ささみ、もやし、玉ねぎ、にんにく、納豆、冷奴、わかめ、ねぎ、あさり、青梗菜、ゴボウなどの食物繊維バランスの良いもの

◎痛みで食べられない場合は、ヨーグルトやフルーツ(紫ブドウ、梨、キウイ、ルビーグレープフルーツ)を冷蔵庫に。

◎骨付き肉を何時間か大量にしっかり煮込む。ニンニクや生姜を一緒に。それを一回分ずつ冷凍。密封チャックに入れて「日付と鶏ダシ」と袋に記入しておくと便利。 熱いので冷ましていれること。タンパク源をチキンや魚介類、卵などにして、あとは緑黄色野菜をふんだんにいれる。消化もよく栄養満点。肉は鶏が一番手に入りやすくスープに癖がない。 豚(豚足や耳含む)牛すじ、牛テール、フカヒレも◎。雑炊や煮物、カレーや味噌汁、あらゆる料理に毎食とり入れ摂取。

◎炎症や患部の痛みを助長する肉の脂身、脂質は徹底的にカット。グレープシードオイル、アーモンドオイルを新たにストック。ナッツや青背の魚など、抗炎症作用のあるオメガ3脂肪酸は積極的に。

◎ネバネバ食品は関節ケアのコンドロイチン、グルコサミンが豊富。積極的に摂取。

どこで何が必要となるか解らない。私は夫が2年前の2002年に、右膝前十字靭帯断裂の再建手術をした際、当時コンサドーレの専属栄養士であったザバスの大前さんにお願いして作って貰ったプリントを思い出した。確かに川端先生がおっしゃるように、病院食は一般の方向けに作られており、アスリートのための靭帯の回復メニューとまでは至らない。2年前も今回と同様、病院食にビタミンC、たんぱく質を主とする食品を、1、2品毎食付け足していた記憶がある。

かなりボロボロではあるが、これが2002年の病院食。

ザバスの方のアドバイスを基に、病院食に私の汚い字で付け足すメニューが記載されている。脂質をカットしたり、糖質を抑え、置き換え食材を用いたり。このように付け足されているものは非常に簡単なものであるが、これが1、2週となると経過がかなり違ってくるというのだから侮れない。

●魔法のスープ

2004年9月29日

午前中から、良質な食材を取り揃えている浦和伊勢丹地下の食品売り場へと向かった。ここで、スープに必要な食材や、病院で付け足す食品等を購入し、足早に帰宅した。夫に電話を入れ「今日はいけない」と伝えた。容態を聞いてみると「朝、膝に溜まった血を抜いて貰ったら、一気に熱が下がり気分も良くなった」との事だった。本来あるべきものでないものが体に溜まっていたのだから、具合が悪くなるのも当然か。

大量の骨つき肉を水を足しながらコトコト煮込むこと8時間。部屋中に、何とも言えない肉の香りが広がっている。愛犬も匂いにつられ、台所に集合してきた。残ったスープはジップロックに小分けして冷凍。きっと、魔法のスープになってくれるはずだ。

●原点

2004年10月2日

ここに来る途中、花屋に寄り道することがささやかな幸せになっている。いつも凛とした美しい花に触れると、心が隅々まで透き通るからだ。

しかし、どんなに手を尽くしてもこの花はやがて枯れてしまう。蛍やセミが僅かな時間しか生きていられないように、この世に生を受けたものは必ず死んでしまう時が来る。生きている時間はたくさんあるようにみえて、いつ終わってしまうかなど誰にも解り知れぬことだ。だからこそ私は、与えられた人生に後悔をしたくないと、この環境下からか強烈に思い始めた。

この日は日曜で、本来リハビリ室は開いていない。しかし夫の事だ。きっちり休み前にトレーナーの方からリハビリ室の鍵を貰っていた。私は夫と共に、誰も居ないリハビリ室へと向かった。

静まり返った殺風景な部屋で、つま先立ちでバランスを取る練習をしている。リハビリ時、夫の手に松葉杖はもう無い。まだ多少ふらつきはあるものの、術後から1週目の人間とはとても思えない。今度は支え無しで、ライン上を真っ直ぐ歩く練習だ。見られている事を意識してか、夫の顔が時より綻ぶ。「見ろ、もう歩けるんだぞ」とでも言わんばかりの顔つきだ。

この日の夜、夫が話してくれた。世界記録を達成したイチロー選手がテレビのインタビューでこんなことを言っていたそうだ。

「記録の事を考えると、野球が好きだという気持ちが半減してしまう。だから記録の事は考えないようにしている。なぜなら僕は、野球が好きだからピッチに立っているのだから」と。

「それを聞いた時、自分も同じ考えだと思った。結果より何より、俺はサッカーが好きだからいつもピッチに立ちたいと思っている。原点はいつもそこにあるのだからね」

●光

2004年10月6日

夫の普段の生活が、両松葉から片松葉に進歩した。術後1日目に、この特殊な機械によって膝の痛みから逃れられなくなったことなど、すっかり脳裏から消えている。何事も、過ぎてしまえば何と短いことだろう。

この機械を使って、毎日自動的に膝の曲げ伸ばしを1時間行っている。角度は以前の90度から120度まで曲げられるようになった。

私は、何日も太陽に当たっていない夫を、病院の屋上へと誘い出した。

眩しいくらい光を体一杯に浴びて、気持ち良さそうに屋上内を散歩している。

全てはここから始まる。今、ここから。

●台風

2004年10月9日

台風22号が関東全域に猛威を振るっている。私は、今日の晩御飯に付け足す焼き魚が雨に濡れないよう、タオルで二重巻きに包んで足早にタクシーへ乗り込んだ。功治のお母さんが、北海道から新鮮な魚を大量に送ってきてくれた。その内の1匹の焼いたばかりの鮭の香りが、湿度の高さもあって、潤いを増しながら車内に広がっている。お昼ご飯を済ませていない私には少々きつい香りだ。抱えた二重のタオルに目をおろし思わず唾をゴクリと飲み込んだ。

病院へ到着すると院内は閑散としていた。まだ昼だと言うのに売店も閉まっている。功治に聞くと、台風でみんな「早退」したとの事。勿論、リハビリの先生方も「早退」し、午後のリハビリは各自部屋で行うとの指示で、病室にはリハビリに使うと思われる道具が散乱していた。

「この台は何をするものなの?」と質問すると、まるで何かを思い出したかのようにリハビリに取り掛かった。

このバランスボードを使ったリハビリは、簡単そうに見えるが、実は大変難しい。私もやってみたが、床につかずに立っていられる時間は僅か1、2秒程だ。ましてや怪我をしている人がこれをやるのは容易ではない。それでも功治は上手くバランスを取りながら10秒近く立っていられるのだから感心してしまう。両足が終わると、今度は片足ずつ台の上に乗せて、体のバランス感覚を養っていた。リハビリ後の体重測定では72.5キログラムを示し、大幅に増という事もなくまずまずといったところだ。

その後、仁賀先生がやってきて膝の腫れ具合を診察。膝に溜まった血を抜いて貰った。手術後は、この、血が溜まっては抜き、溜まっては抜きをしばらくの間繰り返す。やがて内出血が治まってくると、膝も腫れなくなってくるというわけだ。

上の写真は、血を抜いた直後の写真だ。血がにじんでいるところから、注射器で血を抜いている。向かって左下の大きい絆創膏が、手術の切り口であり、真ん中の瘡蓋部分は内視鏡の跡である。

2年前と全く同様の手術が行われており、今現在、彼の両膝には2本のボルトが入っていることになる。レントゲン写真にそのボルトの影を見た時には、解っていながらも驚いたものだ。

やがて台風は勢力を増し、さすがに身の危険を感じ、いつもより3時間早く帰宅した。

●笑顔

10月10日

スープを持参した。今日の具材は、にんにくの芽、アスパラ、トマト、アサリ、タラ、わたり蟹、マカロニ、ナッツ、チーズ等の、高タンパク、低カロリーの食材をふんだんに使ったスープだ。美味しそうに味わって食べ、おかわりをしていた。久しぶりに見る夫の笑顔だった。

ここまで。

次回京都新聞アス飯料理動画は、リハビリ回復食に毎食摂取していたスープを簡易化してアレンジ。是非ご活用ください。

アスリートフードマイスター福岡支社 栄養講師 無事終了!

アスリートフードマイスター福岡支社 栄養講師 無事終了!

株式会社アスリートフードマイスター福岡支社さんが、受講生の皆さんのアンケート結果を、満足度グラフなども入れ、丁寧に纏めてくださりました。非常に有り難く、嬉しく拝読させていただきました。

本音を申しますと、小学校で行っている基礎講座から、大学で行った研究内容の講義を組み合わせた授業構成、しかも1時間しかなかったので、吉と出るか、凶と出るか、どちらに転ぶかはやってみないと分からないと思っていました。ですが、どうしても、ポイントだけでも伝えたかった。自身が実際にやってうまくいったものは、情報として一刻も早くシェアし、より高く、より遠くに飛べる可能性を広げたいです。

一言で例えるなら、花火を打ち上げたような構成になっていたと思いますが、何とか無事に終えることが出来たのは、受講生の皆さんが、本当に誠実に、真摯に、私の拙いお話を聴いてくださったからです。ありがとうございます。

皆さんからいただいたご意見(レジュメ作成)やご感想を元に、今後も精進して参ります。この場をお借りし、改めまして、心より御礼申し上げます。

以下、アスリートフードマイスター協会の活動報告を転載いたします。【アス妻会活動報告】山瀬功治選手の奥様 山瀬理恵子さん アスリートフード勉強会アス妻会の活動報告です。2017/05/25(木)

アスリートフードマイスター福岡支社にてアスリートフード勉強会「現役Jリーガーアビスパ福岡山瀬功治選手の奥様 山瀬理恵子さんに学ぶ」を開催しました。

現役サッカー選手を支える奥様ならではのサポート内容や、山瀬さんが取り組んでいる活動や、食事に関する貴重な経験談をお話頂き参加者の方の刺激になる実りのある会となりました。

少しだけ内容のご紹介。

●「全ての食材には意味がある」

ご結婚された直後などは、料理が得意ではなかったそうですが、ご主人の怪我から、妻として色々なサポートをしっかり考えていこうと思い食材や栄養だけではなく、人間のカラダにも興味が沸き脳科学の本なども読み独自で勉強したそうです。ご主人と二人三脚で復帰に向けてのサポートされてきたご経験をお話頂きました!

経験を通して、食事の大切さをしっかり考えていくようになられたそうです。

●「私たちは情報までもいただいている」

ご主人と食事をする際には、いつも「この食材はこういう栄養があって、どうカラダに良いのか?」など口にするものの情報をお話されるそうです。このことを続けることによって、ご主人も食べることの意識が高くなり、食べ物に感謝できるようになったとのこと。競技者の意識を変えることは大事ですね!アスリートフードマイスターの資格で、説得力が増したそうです。

●「雰囲気作り」「盛り付け」で料理の5割は決まる!

山瀬さんのお宅での食事に気を付けていることとして、五感(触覚、聴覚、嗅覚、味覚、視覚)について。食材、内容だけではなく、食事全般に気を配られている内容をご紹介頂きました。メンタルも支える奥様ならではのご意見ですね。

早寝、早起き、朝ご飯を食べる大切さ、間食(補食)の具体的な例などをお話頂き、「食材を鎖のようにつないでいく」。

食材の栄養素側からレシピを組み立てていく「アス飯」の活動をご紹介もしていただきました。今年の夏、今までのレシピ連載をまとめた「アス飯」の出版予定です。

最新情報は 山瀬さんのオフィシャルサイトをご覧ください!

 

●オフィシャルサイト

http://yamasefamily.com
全国でアスリートセミナーを開催中!

セミナー開催のご要望は事務局までご連絡ください!

事務局:03-3870-8650

今回の講座は、一般参加、また、資格保有者の皆さんが一緒になって行われました。

衝撃を受けたのが、広島、兵庫、宮崎、北九州など、遠方からわざわざこの講座のためだけに駆けつけてくださった方がいらっしゃったこと。アビスパサポーターの方、大学生や若い世代の皆さんも。食品メーカーの販促事業部の方もいらっしゃいました。

講座終わりには受講生の皆さんから、熱烈なお言葉を多数頂戴しました。何と表現して良いのか、信じられないといいますか、夢を見ているような感覚でした。過分なお言葉、本当にありがとうございます。

生きている時間は限られています。そんな中で、受講してくださった皆さんの1時間半という大変貴重な時間、言わば、限りある命の時間をいただいていることになります。

これは、どんな場面にも言えることですが、私たちはもしかしたら、目の前にあるこの出逢いが最後かもしれない瞬間を生きています。だからこそ、今、自身が持ち合わせているものは全力でお伝えするのが常であり、マナーであり、お役目だと思っています。何か1つでも受講された方にとって有益な情報のご提供ができたり、受講された皆さんが、今日より明日、未来へ向けてより一層前進してくださることが、私にとって最大の幸せです。

 

日本野菜ソムリエ協会 福岡支社にて講師を務めます

日本野菜ソムリエ協会 福岡支社にて講師を務めます


日本野菜ソムリエ協会さんからも正式リリースが入りましたので告知させていただきます。福岡初の講座になります。宜しくお願い致します。

●日本野菜ソムリエ協会

https://fooddiscovery.co.jp/eventorder_fukuoka/contents/hp0013/list.php?No=&CNo=13

●株式会社アスリートフードマイスター

http://blog.831s.com/athlete/

【福岡】アスリートフード勉強会 『現役Jリーガーアビスパ福岡 山瀬功治選手の奥様 山瀬理恵子さん』

一般の方もお申込OK!アスリートフード勉強会開催します!
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今回は、「アビスパ福岡」MF山瀬功治選手の奥様 山瀬理恵子さんを講師に迎え、プロアスリートの食事について知ることができる貴重な機会です。
ベテランと言われる年齢に差し掛かりながらも、現役バリバリの山瀬選手の秘訣は奥様の「食事」。「奥様の料理が元気の源」と公言するほど、山瀬選手にとって頼れる存在の理恵子さんは、以前のチームに在籍中には新聞にてアスリートの食事について連載や料理教室を開催される”料理の達人”。
プロサッカー選手の食事環境や山瀬さんご夫婦が取り組んでいること、日頃の食事サポートのお話などを中心に、プロアスリートの食事についてお話いただきます。
各地で講演やセミナーなど行っている山瀬さんのお話は、スポーツを食で支える方に、気づきや学びがきっと有るハズ!ご参加お待ちしております♪
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講師:山瀬理恵子さん
(アスリートフードマイスター3級/野菜ソムリエ/フードコーディネーター)
クックパッド公式キッチンを持つ。小学校教諭を経てサッカー選手山瀬功治と結婚。
京都新聞朝刊「アス飯」連載は2016年4月で3年目に。同社料理動画も連動。
(ダイジェスト版41万部発行)キユーピーマヨネーズ料理グランプリ京都府代表。サッカー雑誌栄養連載2年。PHP巻頭カラー2年。サッカー協会、京都サンガF.C.、小学校、高校、大学、企業他で栄養講演及び調理実習多数。
主な資格、経歴などの詳細プロフィールはオフィシャルサイトをご覧ください。
**************************************************************
日時:5月25日(木)10:30-12:00
(セミナー60分+交流タイム予定)
会場:福岡教室(福岡市中央区天神3-4-2高橋天神ビル5F)
参加者:アスリートフードマイスター講座受講生以上または一般の方(定員24名)
参加費:受講生/修了生2,000円・一般2,500円

★参加費は、下記のどちらかへ事前振込をお願いします。
■三井住友銀行 渋谷支店 普通8992338 フードディスカバリー株式会社
■ゆうちょ銀行 〇一八(ゼロイチハチ)支店 普通1339264 フードディスカバリー株式会社
※お振込の際、お名前の前に「0525」と入力して下さい。
※開催日の前日から起算して7営業日前からキャンセル料(全額)が発生します。
【お申込方法】
1.ホームページ
2.お電話:平日10-18時 092-738-9077
***************************************************************
【お問合せ先】
株式会社アスリートフードマイスター 福岡支社
福岡市中央区天神3-4-2 高橋天神ビル5階
TEL:092-738-9077(平日10-18時)
E-mail :fukuoka@athlete-food.jp

京都新聞朝刊連載「アス飯」書籍化決定!商標登録出願

京都新聞朝刊連載「アス飯」書籍化決定!商標登録出願

有難いことにこの度、アス飯の書籍化が決定致しました。ひとつ夢が叶いました。感無量です。

先日、京都新聞出版センターにて、2度目の打ち合わせをして参りました。今まで以上に沢山の方に携わっていただくことになり、身が引き締まる思いです。

2016年師走に、京都新聞さんの後押しを得まして「アス飯」を商標登録出願させていただきました。本格的な出版準備と共に、更なる新しいチャレンジも始まります。ここが自分にとっての本当のスタート、正念場だと思います。未熟者ですが、精一杯頑張りますので引き続きどうぞ宜しくお願い致します!

地元北海道十勝郡浦幌町 アス飯でまちづくり 男女共同参画講演無事終了

地元北海道十勝郡浦幌町 アス飯でまちづくり 男女共同参画講演無事終了


水澤一廣浦幌町長、鈴木宏昌副町長、まちづくり政策課の山本輝男課長、企画振興田村優聴係長を始めとする多くの町役場の皆様にご協力をいただき、地元、北海道十勝郡浦幌町にて「アス飯でまちづくり 男女共同参画講演」を無事に終了致しました。


お陰様で100名近くもの方にお越しいただきました。中には帯広市から足を運んでくださった方も。

講演で使用したパワーポイント、構成には、京都新聞社 編集部の塚本宏写真部長、デジタル編集部にもご協力いただき、アス飯のゲスト編集動画を組み込みました。本当にありがとうございます。

「町の公式講演会。よく引き受けたと思った。もし失敗していたら長らく語られていたよ笑」

終わってから友人に苦笑されたのですが、オファーがあったことを今年70歳になる両親に伝え忘れ、自分1人の判断でお引き受けしてしまいました。あの馬鹿娘が一体何話すんだとかなり心配をかけてしまったようで、申し訳なかったと思います。

講演会を聴きに来てくださっていた方から、友人らを通じてメッセージをいただきましたので掲載させていただきます。

 

浦幌町

https://www.urahoro.jp

・胸が熱くなってとてもいい話だったとメールがきました。すごいおほめの言葉ばっかだったよ。あと、その方は関西から赴任されてる方だったんだけど『途中で入った関西弁』がリアルで、よかったって。京都愛を感じたとのこと

・プレゼンのやり方とか話の仕方をみてました。勉強になった。満足です

・食べ物だけでなく、もっと美味しいものいただきました。めっちゃ胸いっぱいでした

・あなたのお父さんが消防団の後援会やってるからその関係もあって聞きたいっていう消防関係が多かった

以下は保育園の先生方から

・時間があっという間だった

・話の組み立てかたが素晴らしい

・感動した。胸が熱くなった

・刺激を受けて頑張らないとという気持ちになった

・素晴らしい人だと思った

・りえに質問した先生は、みんなで講演会の後に喫茶店に行って、今後について語り合ったみたいよ。浦幌の魅力について考えて‥やっぱり行動にうつさないとって。もっと旦那さんを大切にしてあげようとも。調理さんも遅れて来たんだけど、遅れても行って良かった!って。本当は質問したかったけど、あの場で手をあげて質問する勇気が出なかったと何人も言ってたわ笑 帰ってからすぐにアス飯動画をみたらしくて質問を預かってる。その方は手紙を書こうと思ったくらいだって。お出汁の話や栄養、睡眠の話も刺激受けたみたいだよ

誰かの何かに届いたらと思いながら講演していたので、こんなにもたくさんの過分なお言葉を頂戴し、本当に胸がいっぱいです。
1月頭には夫も浦幌町で講演をさせていただきました。夫婦共々お世話になっています。

この場をお借りして、浦幌町役場の皆様、講演を聴きに来てくださった全ての皆様に心より感謝申し上げます。

食の取材 公益財団法人ダノン健康栄養財団 管理栄養士 久保田尚子先生

食の取材 公益財団法人ダノン健康栄養財団 管理栄養士 久保田尚子先生

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京都サンガF.C.または教育現場などで使わせていただいている配布資料。管理栄養士の久保田尚子(くぼた ひさこ)先生に取材していただいた公益財団法人公益財団法人ダノン健康栄養財団さんの協力を得て皆様にお配りしています。以下、取材文を掲載させていただきます。

 

久保田尚子(くぼた ひさこ)先生:順天堂大学等の非常勤講師などを歴任しつつ、スポーツ栄養を中心とした栄養関連業務に従事。

<主な栄養サポート歴>

JリーグFC東京(トップから育成年代)、女子ソフトボール日本代表(2004年アテネオリンピック支援帯同)

<主な雑誌連載>

月刊誌『サッカークリニック』 《勝つための栄養セミナー》等多数

(取材日 2015年5月22日)

今回ご登場いただくのは、Jリーグ京都サンガF.C.でMFとして活躍する山瀬功治選手。中学生の時、単身ブラジルへサッカー留学をした経験を持つ山瀬選手は、どのような食生活で高い身体能力を作り上げてきたのでしょうか? たっぷりお話をうかがいました。

◎子どものときは、野菜がきらい! でも残さないようにがんばって食べた

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編集部:「お父様がスポーツ選手(サラエボ冬季五輪バイアスロン代表)で、弟さんもサッカー選手とスポーツ一家ですが、小さいころから運動が好きでしたか?」

山瀬選手:「好きというか、物心ついた時には、もうスポーツをしていました。サッカーは5歳からやってたらしいです。その前は水泳やったり、体操教室。親のすすめで、いろいろやっていました。」

編集部:「子どものころは、食事の好ききらいがありましたか?」

山瀬選手:「ありました。野菜が全般的(ぜんぱんてき)にきらいでした。食べられないワケじゃなくて、食べていたけど、きらいでした。」

編集部:「野菜の、どういうところがイヤだったんですか?」

山瀬選手:「うーん、何でしょうね。青くささとか苦味とかじゃないですか、多分。トマトとかはそうでもないですけど、基本的に生野菜は好きではなかったですね。」

編集部:「おうちでは、食べ残しでも怒られませんでしたか?」

山瀬選手:「いや、基本的に残さないですよ。母も僕が野菜ぎらいなことは知っていたので、そのまま出すんじゃなくて、細かくしたり、ちがう形にしてくれていました。カレーに入っている野菜は食べられたので、よく作ってくれていたかな。家では、イヤな思いをしてまで食べた覚えはないですね。でも当然、サッカーのクラブや学校の給食は残してはいけない決まりだったので、鼻をつまんだり、他のもので流しこんだりして。もし食べなくていいんだったら、絶対食べないです(笑)。」

編集部:「今も野菜はきらいですか?」

山瀬選手:「いえ、今は基本的に野菜好きですね。やっぱり年齢(ねんれい)を重ねるとともに、味覚が変わったんじゃないですか。20代になったくらいから、少しずつ変わってきました。」

◎朝食は必ず食べる! 小柄な子どもで、成長期は高校1年生

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編集部:「おうちのごはんは、和食、洋食、どちらが多かったですか?」

山瀬選手:「北海道出身なので、やっぱり魚は多かったような気がします。焼き魚とか。」

編集部:「朝ごはんは、どんなメニューでしたか?」

山瀬選手:「うちはごはん派でしたね。ごはんとみそ汁、焼き魚とか、そういう感じだったと思います。パンはあんまり好きじゃないんで。」

編集部:「朝食は、必ずしっかり食べていましたか?」

山瀬選手:「逆に、朝食を食べないことなんてあるんですか?」

編集部:「最近の子どもは、食べない子もいるみたいです。」

山瀬選手:「そうなんですか。朝食を食べないっていう感覚がよく分からないです。だってお腹が空くじゃないですか。」

編集部:「現在も、朝は欠かさず食べていますか?」

山瀬選手:「そうですね。練習がある日は結構しっかり食べます。」

ひさこ先生:「遠征(えんせい)の時やキャンプで、朝食を召し上がらない選手っていらっしゃるんですか?」
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山瀬選手:「それはないですね。食べることを義務(ぎむ)化している部分もあるので。ただ、食べる量や、何を食べるかは人それぞれの感覚や知識があるので、それに合わせてやってます。他の選手がいつもどうしているかまでは分かりませんが、栄養をとるという意味では食べた方が良いのは分かりきっていますよね。子どもでも、給食までもつのかな? 途中でお腹が空くんじゃないですか。」

編集部:「子どものころの生活習慣はどうでしたか?」

山瀬選手:「うちは寝るのが早かったです。夜は9時に寝かされて、朝は7時に起きてました。」

編集部:「そのころの体格はいかがでしたか?」

山瀬選手:「体は小さかったです。細さはわからないけれど、身長は本当に低い子供でしたね。」

編集部:「一番背が伸びた、成長期はいつでしたか?」

山瀬選手:「一番身長が伸びたのが、多分高1ぐらいでした。」

編集部:「そのころは、食事をすごくたくさん食べていましたか?」

山瀬選手:「それは、あまり変わらないです。もともと食べるのが好きで、量は食べてる方でした。」

◎5歳ではじめたサッカー。サッカーを続けることは自分にとって“当たり前”
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編集部:「サッカーは、いつ、どんなキッカケではじめましたか?」

山瀬選手:「5歳から小学校まで、地元のクラブチームに入ってました。入ったキッカケは、全然覚えてないのですが。続けた理由は、考えたことが無いです。続けることがふつうだと思っていたので。」

編集部:「しんどい、やめたいと思うことはありませんでしたか?」

山瀬選手:「しんどいこともありましたけど、イヤになったりやめようと思ったことは一度もないです。サッカーをするのが、自然なことだと思ってたから。単純に好きだから続けてたんでしょうし。」

編集部:「サッカーの魅力(みりょく)は何でしょうか?」

山瀬選手:「なんですかね。感覚でしか言えないですね。自分自身に合ってたんじゃないかな。走ったり、蹴(け)ったりすること、全部ひっくるめて。足は速かったとは思いますけど、走るのが好きではないんですよ(笑)。走るのが好きだったら、陸上選手になればいいと思うんですけど。ゲームが好きな子にどこが好きか聞けば、楽しいからってなるだろうし……感覚的なものじゃないかと思います。」

編集部:「いつぐらいから、プロになる夢を持つようになりましたか?」

山瀬選手:「なりたいというか、このまま続けていてなるんだろうな、と思ってました。僕が小学校高学年くらいの時にJリーグが始まって、プロサッカーを観るようになって、サッカー選手になりたいとは思いましたけど、『夢はサッカー選手になる事です!』みたいな感じじゃなかった。自分の中ではサッカーをやめるイメージが全くなく、死ぬまで続けていくものって考えしかなかった。となれば、当然選手になるんだろうと思ってました。でもそんな大それたことは、ほかの人には言わなかったです。」

◎中1でブラジル留学。何も知らなかったからこそ、飛びこめた
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編集部:「13歳で単身ブラジルに留学しましたが、どういう理由で留学を決めたのですか?」

山瀬選手:「よく聞かれるんですけど、今みたいにインターネットが発達している時代でも情報がそんなにあるような時代でもなかった。そんな時に『ブラジル留学に行く?』って聞かれて。当時は小6で判断する基準がないし、正直よく分からなかったんです。まずブラジルがどこにあるかも分からなければ、どれだけ大変なことかも分からない。当時『キャプテン翼』というマンガが流行ってて、その中にブラジル留学の話があったせいか、“ブラジル”や“留学”という響きがカッコイイ! っていうだけ(笑)。正直、まったく何も考えてなかったです。『俺ブラジルに留学するのか、カッコイイじゃん!』みたいな。」

編集部:「不安はなく、すぐに行くことを決めたのですか?」

山瀬選手:「そうですね。逆に、イヤだという判断をする知識がなかったですね。何も知らないですからどれだけ大変なことか、まったく分かってなかった。もし、今の知識がある状態で当時にもどったら、もしかしたら行かなかったかもしれない。でも当時は、ただ言葉の響きのカッコよさや、『マンガと同じ世界だ!』っていうだけ。だから大した決意もなかったけど、逆にそれがよかったかなと思います。」
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編集部:「ブラジルの食事の印象を教えてください。」

山瀬選手:「野菜だけでなく、料理全般(ぜんぱん)、美味しかったイメージは全くないです(笑)。毎日、寮(りょう)の食事で食べられるものがあまりないという状態でした。ただ、ブラジルにはごはんに豆のスープをかける“フェジョン”というポピュラーな料理があるんですが、大豆とか豆類は体に非常に良いものだから、自然とたくさん摂取(せっしゅ)出来て、それは良かったと思います。おかげで、今でも色々な豆料理が大好きです。」

編集部:「成長期の一番食欲が出る時期に、食べられるものが少ないのはつらかったですね。」

山瀬選手:「そうですね。だから本当は他にも色々な種類の食材を摂(と)らないといけなかったのですが、最低限豆だけは摂っていまいたね。」

編集部:「ブラジルでは当然、サッカーの環境も変わりましたか?」

山瀬選手:「同じように日本からブラジルに留学する人が、20人ちょっといたんです。高校を卒業した人とか、色々な年齢層の人が。そういう人達に混じって練習してたんです。中1の僕が、高卒や20歳の大人と一緒にサッカーをやる。レベルが高い中でやるので、いい経験にもなったし、そういう人達と話しているだけでも、色々な考え方を知り、学んだり成長できる部分がたくさんありました。」

ひさこ先生:「それは、日本人の留学生だけで練習するのですか?」

山瀬選手:「そうです。よくある個人単位で現地のクラブチームに入るのとは、違うスタイルです。日本中からブラジルに留学したい人達が集まり、その学生寮でブラジル人の監督のもと指導を受けて技術を学ぶ。結局日本人同士で練習しているだけだから、大人だとちょっと物足りなさはあるかもしれない。でも当時の自分の年齢を考えたら、身になる部分はたくさんありました。」

編集部:「現地の選手と試合することはありましたか?」

山瀬選手:「留学メンバーでチームになり、現地のブラジル人のクラブチームや社会人チームと対戦していましたが、基本的に大人対大人。僕は子どもだったので、出られなかったんです。」

編集部:「海外の選手との体格差や、食事の量とか内容とか、ちがいを感じましたか?」

山瀬選手:「それは、日本にいても感じます。僕は小さかったから特に。体格に関していえば、同じ年くらいの子と一緒にサッカーをする機会もありましたが、大人みたいにデカい子もいれば、同じように小さい子もいたし、そこは人種の差っていうより個人差ですね。それは今、僕らプロの世界でやっていてもあります。チームメイトにブラジル人もいて、身体能力のちがいを多少感じる部分はあります。でも日本人でも同じような身体能力を持っている選手もいるから、やっぱり人種どうこうじゃなく、個人差なのかと思います。」

編集部:「その国ならではの食べ物や料理で、強さの秘訣(ひけつ)みたいなものはありますか?」

山瀬選手:「ブラジルで言えば、フェジョンじゃないですか。韓国でいうキムチじゃないけど、国民食っていうか普通の食べ物。シュラスコという肉もとてもよく食べます。日本で言うと焼肉のような感じで。」

編集部:「両方の環境(かんきょう)を味わって、日本の食生活の良さを感じましたか?」

山瀬選手:「そうですね。食生活に関して言えば、やっぱり日本のクラブもそうですし、高校のサッカー部とかに関しても、知識や情報がしっかりと入っていると思うので、どういうものを食べれば良いかわかっている。またそういうものを食べられる環境はあるから、恵まれてるんじゃないですか。ブラジルだと、ちゃんとしたクラブチーム、プロチームのアカデミー組織に入っていればそういう食事が食べられますが、そうじゃなかったら栄養バランスを考えて食べられるほど裕福じゃない人も多い。日々食べられるかどうか、っていう中で生活している人もいると思うし、そういう意味で、日本はやはり良い環境だと思います。」

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◎Jリーグ京都サンガF.C.でMFとして活躍する山瀬功治選手の奥様は、プロのフードコーディネータ一。食生活では手厚いサポートを受けているからこそ、ケガに負けず現役で活躍し続けています。そんな山瀬選手の、食に対する思いをうかがいました。
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◎苦しくても食べることが、エネルギーになった高校時代

編集部:「スポーツをする上で、“食べること”を意識するようになったのは、いつからですか?」

山瀬選手:「小学校の時に所属していたチームでは、きらいなものでも食べるように言われていたので、野菜は体には良いものだ、という意識はありました。そのときは何が良いのかは知りませんでしたが、野菜を食べる事は大事だと思っていました。より具体的に、ワンランク上の意識をし始めたのは、高校生くらい。高校時代でも、好ききらい関係なく残さず食べなきゃいけないのは当たり前で、プラス量。合宿や遠征(えんせい)でキャンプに行ったときなど、おかずや、ごはんなど炭水化物をたくさん食べるように意識していました。『食べられない選手は走れない』とか『体の強さは内臓の強さ』だと指導をされていたので。量を食べられない人は結構大変そうでした。」

編集部:「食べるのが義務(ぎむ)だったんですか?」

山瀬選手:「そうです。一人ごはん何杯とノルマが決まっていて。それがいいかどうかは分からないですよ。色々な考え方があるから。でも、やはり食べられないと体は動かないかな。特に成長期には、食べることが必要だと僕は思います。」

編集部:「栄養指導は受けていましたか?」

山瀬選手:「いや、指導というほどじゃないです。僕らが高校生の時って、今ほど情報がないので、『まず量を食べろ、内臓を強くしろ』と。昔は水も飲まずに練習するのが精神的にも強くなると考えられていたけれど、今はNGですよね。その時その時の流れがあるから、何とも言えないですね。ただ、何をするにしろ、それに取り組む姿勢を持っているかどうか、だと思います。僕は食べられる方だったからイヤじゃなかったけど、それでも苦しかった。たくさん食べるのが体の強さにつながると信じて、しんどくても食べた。自分のためだから食べようという意識を持ってやっていました。自分から進んでやるか、やらされるかの差は大きい。やらされてるうちは、それがどんな素晴らしい食事であろうが、素晴らしい理論であろうが、僕は100%は身にならないと思うんです。でも今の時代はどうか分からないですね……。食べない選手もいるかもしれない。」

編集部:「しっかり食べるということは、基本的に間違いではないですよね?」

ひさこ先生:「量を食べるという時に、おかずだけでなく最近は敬遠されがちなご飯をしっかりとるということは大事なことだと思います。」

編集部:「その時の食事が、パフォーマンスに反映(はんえい)していましたか?」

山瀬選手:「今じゃ考えられないですけど、高校生の時は1日2試合やるのはふつうで、午前、午後と試合をしていました。でもそういう時こそ、苦しくても沢山食べている方がなんだかんだ言っても動けるなって。体が軽い重いとかじゃなくて、単純にエネルギー源を体が持っているかどうか、というのを感じました。」
ひさこ先生:「そのためにも、しっかり食べることが大事、と。」

山瀬選手:「そうですね。そこまで食べていなかったら、もしかしたら午後の試合に途中(とちゅう)でガス欠になっていたかも、とは思います。」

編集部:「高校時代は、1日に何食も食べていたのですか?」

山瀬選手:「基本は朝昼晩ですけど、間食が多かったですね。昼ごはんはふつうに食べて、練習が終わってから帰る間、夕飯までの間になんかちょっと食べてとか。」

ひさこ先生:「1日2試合あるとき、午前と午後の試合の間にはお弁当ですか? 2試合あるから多目にとかではなく、ふだんの学校の時と同じようなお弁当ですか?」

山瀬選手:「基本的にはお弁当です。どこか地方に行くときは自分たちで用意できないんで、弁当屋さんに頼んで。でも地元で試合の時は、昼ごはんは親が作った弁当か、コンビニで買った弁当でした。あんまりそこは意識はしてなかったですね。」

ひさこ先生:「特におにぎりにしろとかいう指示はなく?」

山瀬選手:「そういうのは特になかったですけど、腹持ちのいい物は食べてました。炭水化物がいいとかそこまで深く考えてなかったですけど。でも腹がへらないものだと、やっぱりごはんですかね。」

(夫はパンを主食にする習慣がありません。動いていると、お腹がスカスカしてしまう感覚が強いそう。3食きっちりご飯派。パンは補食として食べる時があります)

◎持っているものを100%出すためには、食事が重要

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編集部:「サッカー選手になってから、試合の朝に食べるメニューはありますか?」

山瀬選手:「試合時間にもよります。試合前は必ずチームで軽食を摂(と)るようにしているので、それは色々。炭水化物もあれば、パスタやうどん、おにぎりもあるし、フルーツも。そこは人それぞれです。僕は基本的に、パスタを食べるようにしています。」

 

(※2016年は試合日はご飯に。3時間半前軽食はミネストローネスープ、鶏ささみ、ご飯がベース。そこにお餅系を。団子や饅頭など。足りなければバナナ+蜂蜜。プラスαで柑橘類のフレッシュジュース、もしくはブドウジュース、アサイージュース。1時間前がバナナorゼリー。試合後30分以内にサポートしていただいているAJINOMOTOのアミノ酸、糖質ゼリー。食事は栄養だけでなく感覚の部分も非常に大切。いくら良いと言われるものでも本人がどう感じているのか。個人差もあります。シンプルに2択。それを食べることが快か不快か。不快寄りのいただき方になるのであれば芳しくない。作り手は、食べ手が味覚部分でしんどそうであれば、次に作る時、例えば視覚を利用する。盛り付け、見せ方にこだわるなど料理に加算していきます。コミュニケーションを重ねながらの日々。毎年試行錯誤です)

編集部:「それは、何かこだわりがあるんですか?」

山瀬選手:「食べやすいからです。パスタにオリーブオイルと塩をかけて食べるだけ。」

編集部:「バイキングみたいに、色々ある中から選べるんですか?」

山瀬選手:「そうです。軽食はビュッフェスタイルになっています。僕はその時は炭水化物しか食べません。前日の夜は色々なものを食べますが、大体2日くらい前から、意識的に炭水化物を多く摂るようにしています。あとはバランス良く、ですね。お腹に残るようなものはあまり食べないようにしたり。アブラっこいものは基本的には食べないです。」

編集部:「小さいころから、アブラっこいものが好きじゃないんですか?」

山瀬選手:「いや、意識して。あげ物は基本的に食べないです。僕の場合は大きなケガをしたのが一番の理由で、そこから始まって、食生活などの知識を得た中で、取り入れるもの、取り入れないものにこだわるようになりました。」

編集部:「こだわっている食べものや、食べ方はありますか?」

山瀬選手:「そうですね。出来るだけ食べる時間帯を早くするようにはしています。特に夜。」

ひさこ先生:「食事を終えてから、寝るまでの時間を空けるということですか?」
山瀬選手:「はい。空けて、出来るだけ胃の中に物を残さないようにする方が、夜食べたものを全部吸収しきった状態で、次の日をむかえられるような感覚があるので。」

ひさこ先生:「その感覚はすごいですね! お腹に残っている状態で寝ても熟睡(じゅくすい)できないですし、熟睡できなければ、成長ホルモンも分泌されません。最近は夜遅くまでの練習や塾で、夕食が遅くなるということも言われていますが、食事のとり方(時刻や内容など)を工夫して、食事が終わってから寝るまでの時間を空けるようにすることは成長期では特に大事です。」

山瀬選手:「あとは、白米だけじゃなく大麦も一緒に混ぜています。白米だけでもいいんですが、大麦の方が食物繊維、ビタミンとかミネラルとか色々入っている。栄養素的にもカロリー的にも、白米と大麦をあわせてたいた方が良いですよね。」年齢とともに代謝(たいしゃ)が落ちてきたので、食事も変わってきますよ。その時その時の体のコンディション、ケガがあるかないか、シーズン中かそうじゃないか、シーズン前のハードな時期かそうじゃないか。暑い時期、寒い時期など、そういうのも考えて色々変えてやっています。」

(※大麦の狙いは水溶性食物繊維。減量期に。2016年現在は、毎週末の試合日にターゲットを合わせて、消化や栄養、摂取タイミングを考慮。発芽玄米、雑穀米、胚芽米、ビタミン強化米、白米を使い分けています)

編集部:「アスリートにとって、食事はかなり重要だという事ですね。」

山瀬選手:「食生活に気をつかうかどうかは、間違いなく重要だと思います。気をつかっているからといって、サッカーで成功できる訳じゃないんですけど。ただ、持っているものを100%出せるか出せないかは、コンディションだと思うんです。そのコンディションをどのように作るかと言うと、食事のしめるウェイトは相当大きい。長く現役を続けたいと思うなら、なおさら。若い時は何とかなるんですよ。サッカー選手じゃなくても、サラリーマンだってそうですよね。暴飲暴食(ぼういんぼうしょく)、どんな生活をしていても体が動く。でも、やっぱり年齢とともに体って変わっていきます。そういう時に、若いころと同じように続けられるかどうかは、カラダのメンテナンスの部分。年齢を重ねてきた時に、今まで何をやってきたのかが、差になる。体に悪い物って、蓄積(ちくせき)されていくとも思うんです。だから、『歳を取ったな、若いころみたいに体が動かなくなってきたな、じゃあやってみよう!』だと、遅い。積み重なった疲労(ひろう)や、体に不要なものを取り除くのは、なかなか難しい。今までそういう習慣(しゅうかん)が出来てない選手がいきなりやろうとしたって、無理だと思う。そういう意味で、習慣って大事だと思います。ストイックになれ、とは思いませんが、でも何かを成しとげる上で、最低限やらなきゃいけない事が、絶対あると思うんです。それが出来るかどうかは、目的を達成できるかどうかのポイントになってくるんじゃないですか。」

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編集部:「奥様が料理のプロとして活躍(かつやく)しているから、奥様のサポートは、とても身になりますね。」

山瀬選手:「僕の場合はそうですね。食事の変化のキッカケは若い時に大ケガをしたことから始まって、妻にも色々勉強してもらった。そういうサポートがあったから、今の自分があると思ってます。もしサポートがなかったら、もしかしたら今現役ではないかもしれない。」

編集部:「食事面は、奥様に全信頼を置いてまかせているんですね。」

山瀬選手:「本当は僕自身も学ばなくちゃいけないんでしょうけど、聞き流しちゃってるんですよ(笑)。『分かった、お前が覚えておいてくれるからいいや』みたいな感じで。」(※最近は一生懸命聞いてくれるようになりました。笑)

ひさこ先生:「子どものころは野菜が苦手だったとおっしゃっていましたが、奥様のウェブサイト

クックパッド  http://cookpad.com/kitchen/8418816 

を拝見(はいけん)していて印象的だったのは、セロリを細かく切って混ぜたものを山瀬選手が食べて『これはセロリ入ってても、おいしいね』とコメントをされたという内容の記事です。」

山瀬選手:「そういう風に、色々工夫してくれてますね。以前マリノスにいた時、横浜市に依頼されて児童向けの食育冊子を作り、野菜がきらいな子でも食べられるレシピを考えていましたね。きらいなものでも、どうしたら気にならずに食べられるか考えてくれて、それで食べられるようになったものもあります。あとは、何回も何回もしつこく出されて、食べてるうちに慣れた、っていうものもありますね(笑)。その時は別に美味しいとは思わないんですけど、食べるうちに、まぁまぁ食べられるようになってきた。強制的に慣れさせられる時もあります。」

ひさこ先生:「それぞれの食材のもっている意味とか、サッカー選手に適(てき)したものだとか、ちゃんと理解して、それを山瀬選手に説明して作っているイメージを受けました。だから、ただしつこいだけではなく、想いが伝わっていくのではないでしょうか。」

山瀬選手:「妻のレシピの作り方はそうなんです。どの食材を使うかではなく、どの栄養素を使うのか、から入っていく。『今はこのような状況だから、これを摂らなきゃいけない。この栄養素が入っている食材は何か?』から始まって、『じゃあこの食材は。どういう風にしたら美味しく食べられるか』というアプローチの方法。だから、逆に突拍子(とっぴょうし)もないレシピが出たりとかもするんです。味から入ってないんで(笑)。」
ひさこ先生:「だから

『アス飯』(山瀬選手の奥様が連載している京都新聞のコラム)

http://www.kyoto-np.co.jp/info/sports/athmeshi/

は、まず第一は『美味しいごはん』じゃなく、『アスリートのためのごはん』なんですね。でも拝見してると、そういう形で入っても、すごく美味しそうで、体に良さそうなメニューでした。そこが愛情ですね(笑)。」

山瀬選手:「そこは色々、試行錯誤(しこうさくご)はしてますよ。これは何と組み合わせるか、何をつなぎに入れたら美味しくなるか、というのを考えてやってます。そういうやり方だから、読者の方に、『見た事もない組み合わせだ』と評価していただいているのだと思います。」

ひさこ先生:「奥様のブログで、小学校教諭時代のエピソードとして、『きらいなところやイヤなところはみんな持ってるから、それを見ないで良いところだけを見て、大好きなお友達を増やしていこう』というお話がのっていました。食べ物に対しても、もしかしたらそう考えていらっしゃるのではないかしら。たとえば、この香りがイヤ、この苦味がイヤでも、サッカー選手にとってこんなに良いところがある食べ物なんだと伝えるやり方。お友達付き合いに似た接し方で、食事にも取り組んでらっしゃるのかと。」

山瀬選手:「そこまで難しく考えていないと思いますが……。コレが体にとって良いからこれを使おう、それをどういう風にしたら出来るか、食べる人のことを必死に考えていますね。ほかには、作る人が、いかに面倒くさくなくシンプルに作れるか、とか。他人のことを考えて出してる料理なのだと思います。とはいえ家でカロリー計算とか、そういったことはあんまりしてないんですよ。基本的に、必要とするものをしっかり摂る。油をあまり使わず、使ってもココナッツオイルやオリーブオイルにするとか。そんなにカロリーの高い食事はないんです。ある程度お腹いっぱい摂ってもカロリーオーバーにはならないというのをベースに、そういうスタンスでやってますね。」(※オメガ3は青魚やクルミなどの食材またはグリーンナッツオイルなどで)

編集部:「乳製品は摂りますか?」

山瀬選手:「牛乳は摂らない方ですが、ヨーグルトは食べます。毎回直接食べるのではなく、料理に入る時もあります。かわりにチーズを入れたりすることもあります。もう、妻任せです。」

(※ハードな試合やトレーニング続きで内臓が疲労することもあり、夫の場合は胃腸が繊細になることが多いため、牛乳はカモミールと合わせて飲んでもらったり、調理などに使って栄養補給しています)

編集部:「食事に牛乳は出ませんか?」

山瀬選手:「うちは水か、もしくはビタミンCを摂れるようなもの。水とちょっと薄めて飲むものとかがあるんですけど、フルーツを濃縮したエキスとか。昔は青汁を飲んだりもしていました。」

(※2016年現在はサポート提供していただいている100%の柑橘系のドリンクか水、もしくはリンゴ酢、ハーブティーなどを食事中は主にいただいています。日本茶などは鉄分の関係で、飲むタイミングや量を考慮しています)

編集部:「練習後に補給するものはなんですか?」

山瀬選手:「控室にはバナナなどが置いてありますので、練習直後は30分以内に、バナナや栄養ゼリーを摂ったりしています。それで少しシャワーを浴びたり、ケアして一段落してからごはんを食べる感じですね。」

◎目標に向かって自分から考え、動くことがなにより大切!

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編集部:「サッカー選手にあこがれている子どもたちに、アドバイスをお願いします。」

山瀬選手:「自分が何か成しとげたいものがあるなら、それを達成できるかどうかは自分次第です。それに向かって、自分がどういう風に取り組んでいけるか。それがすべてだと思います。普段の練習もそうだし、栄養の事もそうです。すべてをパーフェクトにストイックにやれ、とは言いません。子どもなんだから、友達と遊ぶ時間も大切なものだと思う。ただ何をするにも、自分でしっかりとやりたいこと、達成したい目標、目的に向かって、自ら進んでやっていく姿勢が一番重要だと思います。『コーチや先生が言ったから』では、本当にいいものでも身にならない。サッカーは楽しいだけじゃない。走る練習もあれば、自分のやりたくないポジションをやることもあるし、試合に出られない時もある。すべての事において、自らどういう風にやっていくか。自分でやっていく意識があれば、当然そのためにはどうすればいいか、ちょっと考えると思うし、考えるうちに工夫も生まれてくると思う。工夫すれば、今度はそれをどういう風に応用するか、生かしていくか、色々な事を考えられるようになります。これはサッカーに限った話ではなく、どんな職業でもそうだと思うんです。自分からアクションを起こせるようになっていかないと、どの職業についても大変だと思います。失敗もあると思うんですよ、絶対に。でも失敗って、単純にそれが上手くいかなかった方法を学ぶ、というだけの事なんです。こういう風にやってみたけれどうまくいかなかった、じゃあ次こうしてみよう、と前向きに考えられる。ただ言われてやっているだけだと、失敗したりうまくいかない事を、誰かのせいにしてしまうかもしれない。とりあえず何でも自分から主体的に取り組むことがいいのではないでしょうか。」

編集部:「保護者は、どのようにサポートしていけばよいでしょうか?」

山瀬選手:「自分が子どものころは、親にすごくサポートしてもらいました。練習や試合の送りむかえをしてもらったり、ご飯作ってもらったり。親が『あれしなさい、これしなさい』ってやらせていると、自分から行動できなくなってしまう。自分がもし親だったら、口を出したくなるかもしれないんですけど、まずは子どもにどうすればいいのか、自分で考えさせます。何でもかんでも、ああしろこうしろって言うと、結局やらされてやるだけの流れにしかならない。あまりにもずっと言われてたら、子どもはイヤだけど言われてるからやろう、になると思う。言い過ぎもよくないし、言わな過ぎもよくない。」

ひさこ先生:「子どもによっても違うから、難しいですね。」

山瀬選手:「子どもによって全然違いますよ。極端な言い方をすれば、子どもに任せて、もし痛い目にあったら、それは多分印象にも残るし、学んで反省もすると思うんですよ。ただ自分に合うものでも、他の選手には合わないものもある。結局自分で見つけていくのが一番かな、とは思います。」

ひさこ先生:「知ってるのと、実践(じっせん)するのとはギャップがあったりもしますね。」

山瀬選手:「それはもう、自分次第ですね。やらない人は、単純に終わっていくだけ。本当にそうですよ。練習を一生懸命やればうまくなれるし、やらなかったら何年かして首を切られて、自己責任の世界で、誰も助けてくれないですから。サポート、アドバイスとか助言はしてくれるけど、最終的にそれを身に出来るかどうかって自分次第です。」

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色紙に書いた言葉は「自分に限界をつくらない」。常に自分と向き合い努力を続けたからこそ、山瀬選手は今もピッチにたち、前を向いて戦っているのですね。素敵なお話を、どうもありがとうございました! これからも山瀬選手を応援(おうえん)していきます!

前編

http://www.genki-danone.jp/interview/backnumber/026/

http://www.genki-danone.jp/interview/backnumber/026/index02.html

後編

http://www.genki-danone.jp/interview/backnumber/026late/

http://www.genki-danone.jp/interview/backnumber/026late/index02.html

選手&チームのご紹介

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山瀬功治(やませこうじ)選手

北海道出身。2000年コンサドーレ札幌のデビュー戦でゴールを決める。2001年U-20ワールドユースに出場。2001年にはJリーグ新人王タイトルを獲得。その後浦和レッズを経て2005年に横浜F・マリノス、2011年に川崎フロンターレへ移籍。2013年より京都サンガF.C.へ移籍し、2014年には主将を務めた。力強いドリブルと高いテクニックを武器とし、各世代の日本代表を経験してきた実力者。
京都サンガF.C.

京都府京都市、宇治市、城陽市、向日市、長岡京市、京田辺市、木津川市、亀岡市をホームタウンとするプロサッカークラブ。1996年に京都パープルサンガとしてJリーグに加盟。2007年に「京都サンガF.C.(KYOTO SANGA F.C.)」へと名称を変更。

■公式サイト

http://www.sanga-fc.jp/

■公式ツイッター

http://twitter.com/sangafc

■公式フェイスブック

http://www.facebook.com/official.KyotoSanga

京都新聞連載3年間をスタートから振り返る「紙面編」

京都新聞連載3年間をスタートから振り返る「紙面編」

2014年2月。


突然届いた手紙。何かの手違いとしか思えず、何十回読み返しても文面が頭に入ってこなかったことを思い出します。

あの日から約3年。

先日の京都新聞さんとの節目の会。外部からの人間で3年という長期間、しかも80回以上連載を続けられた人が見当たらないこと、ここまで来たら何とか100回は頑張って貰いたいといった理想を掲げていただきつつ、現実的には繊細なところで。


終わりというカタチをとらず、例えば半年とか1年に1度でも、何でも良いから遠方から元気であることを報告して貰ったり、何か別なものに変化させるのか、はたまたアス飯をそのまま存続させるかは分からないけれど、これからも関係は変わらず継続し、いつでも戻って来て欲しいといったお言葉まで頂戴しました。もうそのお気持ちだけで十分。京都新聞さんには感謝しかありません。

ちなみにおにぎり部長に至っては、夫の挨拶時、感極まって泣いていらっしゃった(笑)
それもそのはず。部長を始めとするアス飯に携わった全ての皆さんが、このコンテンツにどれだけの時間と労力を費やし、やっとここまで辿り着いたのか計り知れないからです。

無知過ぎる道産子。農家生まれの野生暴れ馬を言葉のスペシャリストたちが全力で囲い(笑)守り、ゼロから大事に育て、自由に走り回れるようになるまで根気強く待った。皆さんに生かして貰ったとしか表現しようがありません。

京都新聞さんから有次さんの銀杏のまな板をプレゼントしていただきました。

お世話になっていたのは私の方ですが、有り難く頂戴しました。来月の収録は、このまな板のお披露目をさせていただこうと思っています。

我が家からは京都サンガのユニフォームを。代表して現運動部長にお渡ししました。京都新聞本社に飾っていただけるそうです。感謝!

今でこそ私の仕事を応援してくれている夫。

しかし、一筋縄ではいきませんでした。

当時を振り返ります。

「不器用な人。サポート(サッカー)と仕事、両立出来る?疎かにされると困る。ましてや、京都の歴史ある新聞社、しかも週一だよ?」

突然のオファーに苦言を呈した夫。渋い表情から限りなくNOに近い心中を察することが出来ました。

しかし、矢の打ち間違えで飛んできたような話。もともとあってないようなものです。100%チャレンジ精神のみでぶつかれる為、失うものが何1つとしてありません。

周囲の心配をよそに、まだ見ぬ記憶、未知なる世界に1人好奇心を掻き立てられていました。

それから間も無くして京都新聞本社へ伺うことになります。

面接を兼ねた初めての打ち合わせは、旧運動部のおにぎり部長(現写真部長)新旧担当デスクの4人で行われました。

私は、夫が横浜F・マリノス、川崎フロンターレ時代に2年間連載させていただいていたサッカーダイジェストテクニカルを持参し、コラム(原稿)レシピ、栄養メモ、料理写真の4素材を自らで担当していたこと、校正には現横浜F・マリノスの記者が入っていたこと、右枠には旬食材をピックアップしたコラム、左枠には3レシピを添付し、それぞれに栄養素のメモを。ボイス枠をつけ、夫の言葉も記載していた旨を説明しました。京都新聞さんからのオファーが、おそらくこれに近い流れになると思ったからです。

※2015年10月の紙面改革から現デスクに担当が変わりました。現デスクがアス飯の企画発案者。発案と同時に滋賀に移動になり、アス飯を旧デスクへ託す形に。2年の月日を経て本社へ戻られました。アス飯というタイトルを考案されたのは旧デスクです。

初顔合わせが終わって自宅に戻り、再度決意表明をして何とか夫を説得。最終的には後押しを得て、覚悟を持って挑んだ連載でした。

※当時の日記

ご報告

https://yamaserieko.cookpad-blog.jp/articles/114536?_ga=1.31791869.293249003.1446098232

掲載には雑誌連載時同様、4素材(原稿、レシピ、栄養メモ、料理写真)が必要でした。週一スパンとなると夫の毎日の食事管理とはまた別に試作を行わなければならない。

水曜には大枠を組み、〆切日の金曜、もしくは土曜早朝に料理撮影。原稿は出来るだけタイムリーなネタを入れ、翌週火曜発売に安堵した瞬間には既に1週間後の発売に向けて動き出している日々の繰り返し。並行して毎週末には夫の試合も挟みます。




立ち止まる時間や余白はなかったものの、心は日を追う毎に潤いを増しました。読者の方の為に無心で動き続けられることに幸せや生き甲斐を感じていました。

まだ連載が始まったばかりの頃、ゲラは自宅のファックスに流していただいていました。ここに担当デスク(赤ペン先生)からのコメントが。拙い文章にも必ずお褒めの言葉をくださる方で、素人の私にとって、この3行がどれ程の励みになったか分かりません。言葉の力は本当に偉大です。

あろうことか、つい最近まで文字数を勘違いして(文字数オーバー)原稿を出していたことが発覚。何で指摘してくれなかったんですかと尋ねてみると、何度も指摘したよ、山瀬さんが人の話を聞いてないだけ(笑)とチクリと刺された後

「素材を生み出すのは容易でない。だけどあるものを削るのは簡単。」とサラリ。

なるほどと思いました。

コラム題材についても、デスクが毎回ご提案くださっていました。現役の妻であるためチームとの兼ね合いが難しい。特にサッカーに踏み込んだ内容は週末の結果、夫の近況、パフォーマンスによっても左右され、この辺りの繊細なバランスはデスクと相談しながら、NGなのか、今行くところなのかを決めていました。

詰まったり、自分でも何を伝えたいかボヤッとした状態で原稿を出すと必ず電話がかかってきます。そんな時でも否定されることは一切なく、核となる部分を尋ねられるだけ。

時には他愛のない会話から電話が始まることも。私からするとただの雑談。しかし、デスクからすると次のコラムの為の意図的な会話で、聞き耳をたてているのです。話の最中にデスク視点で「その話面白い」と思った瞬間「それ良いじゃないですか、今のを纏めてちゃちゃちゃっと書いてみましょう。山瀬さんならすぐに出来ます」と尻を叩かれ、スパンと電話を切られる。

つまり、知らず知らずのうちに脳内を探られ、取材されていたのです。会話からコラムに反映させる根となるポイントを見つけて助言されたり、場合によってはコラム題材自体あまり面白くないから、また別の、読者が興味をひく題材へと話をふられる。完璧に甘えさせてくれるわけではなく、ここまでヒントを出したのだから、あとは自らで考えて書いてみようというスタイルの育成でした。

 

渦中にいると分からないものも、俯瞰すると流石言葉のプロだなと。懐に入り「人間」を見る新聞記者の特徴が節々に際立って見え、私はそこに凄みみたいなものを感じていました。

 

コラム内容は料理や栄養に止まることなく北海道話や習い事のバレエについて綴った回も。思い起こせば登場人物もたくさんいたように思います。




文面に必ず四季を取り入れていたことは、私なりのこだわりでした。忙しい日々の中、新聞を読むことで情景を思い浮かべて欲しい。人生は春夏秋冬を巡るようなもの。私たちは本来、季節の移り変わりや自然の流れに沿って生きていくものなのだと思います。

「シンプルに、誰がどの角度から見ても分かりやすく」がデスクの口癖。感性的で荒削りな素材を、てにをはを整え、無駄を削ぐことで美しく。伝えたいことや本質を浮かび上がらせる手法をいつも背中で教えていただいていました。

レシピに関しても同様。あしたのアスリート飯をうたっていますが、標準をそこに合わせているようでいて局所ではない。カメラのレンズで言えば「解放」と同じ原理。外側があるからピンが生きる。読者全体に想像力を持っていくように常々アドバイスされていました。そのお陰でレシピアイディアに詰まることがなかった。声がけの力も身に染みて感じています。

素材を絞り出すのは私の仕事ですが、そこから組み立てに手を貸していただいている時点で既に自身の手から離れています。

私の名前が代表で記載されているだけで、正しくは連帯作業が生み出した共同作品。読者の方に更なる成長を育んでいただくため「行ってこい、頑張ってこい」と、大切な誰かを送り出している時のような心持ち。

時に側近の立ち位置から夫を取材し、心をえぐりとった回や、自身の不安定な心情をストレートに表現した回も。





人は苦しい時に真価だとか、どう生きるのかを問われているような気がします。心を動かされたり感動が生まれるのは、良い時だけではなく、寧ろしんどい時の生き方、どん底の中で得る極限の志に響くことが往々にしてあると思います。

尋ねたことはありませんが、担当デスクは自由に伸び伸びと広く視野をとることで固定されがちなイメージを良い意味で乱立させ、私という人物像に幅を持たせたかったのでしょう。異質さが生まれたのはおそらくこの為。

お手紙をいただくこともありました。過分なお言葉を多数頂戴しました。読者の皆様にも感謝申し上げます。

こうして破茶滅茶の中で駆け抜けた1年。この頃、驚くような変化が生まれてきます。



2年目に入ると動画連動にまで発展。(動画に関してはまた後日詳しく振り返ります)

人生、何が起こるかわかりません。



これまで「アス飯」に関して私が耳にしたのは、極めてポジティブな言葉のみ。ネガティブな情報は一切こちらに届きませんでした。

なかったわけではない。きっと、私を守るため、余計な心配をかけないために影で踏ん張る人がいて、それを私に見せなかっただけでしょう。

いつも

「あなたは凄い、反響がすごい、絶対できる、我々が山瀬さんを守るから、一連托生ですよ。」

そんな力強い言葉で背中を押してくださるので、私は一直線に突き進むのみでした。

どうすれば愉しく、気持ち良く、夫のサポートと両立しながら仕事ができるのか。自分のことを犠牲にしてまで私を想ってくれる方々の存在がありました。

真の人間愛を感じています。

北海道の母からはいつも、頭をあげないこと、謙虚に、と言われ続けていましたが、そもそも皆の力が集結した1つの作品。ここに携われた自負はあるものの、頭をあげる概念になんか絶対にならない。

携わった全ての人のお陰であり、誰1人として欠けては成り立たないもの。未来のため、子供たちのために、手を取り合い、皆で何かを達成させていく最高の感覚を得られたこと、たくさんの絆を得られたことが、京都新聞連載で得た私の最大の宝物です。

節目として京都新聞の皆様、読者の皆様に、心から感謝申し上げます。

感謝!「Jリーガー山瀬功治の生き方に学ぶ」無事終了!

感謝!「Jリーガー山瀬功治の生き方に学ぶ」無事終了!

12月30日にご連絡をさせていただき、しかも開催は1月4日。準備に年をまたいでいます。どれだけ動いていただいたのか、痛いほど、容易に察することが出来ました。あれだけの短期間、地元浦幌町で、あれだけの人数を集められるのは近江さんくらいではないかと思います。多大なる感謝と共に、ご来場くださった全ての皆様に心より感謝申し上げます。


近江さんとのご縁をくれた北海道女子大学短期大学部初等教育学科体育コース同期で小学校教諭の加藤里美先生です。心より感謝!


写真中央、同じく北海道女子大学短期大学部初等教育学科体育コース同期で、上浦幌中央小学校時代から同じ道へ進んだ岡戸真澄先生。地元で保育園の先生をしています。私たち夫婦が帰省した際、送り迎えをしてくれたり、浦幌町の宣伝隊長として頑張ってくれています。いつもありがとう!


講演に来てくれたメンバー。北海道日刊スポーツ記者の旦那さんを持つ友人(井上景子ちゃん)が今回の講演を記事にしてくれました。打ち上げにも参加してくれた笑顔炸裂な同級生らに最高の感謝!

企画者である近江正隆さんからのメッセージです( ◠‿◠ )

『きょうは、元サッカー日本代表10番の山瀬功治さんをお招きして浦幌町で講演会。ぼくが企画させていただいたので、あえてテーマを「山瀬功治の生き方に学ぶ」とさせていただいた。正月早々重たいテーマかなって思ったけど、このテーマにさせてもらってよかった!山瀬功治さん、奥様の理恵子さん、本当にありがとうございました。
「自分に限界を作らない。」「自ら考えて、行動する。」をモットーに、これまで様々な困難を乗り越えて来られた山瀬選手の生き様が垣間見れ、進行役だったぼく自身が一番学ばせてもらった気がします。真剣に話を聞いてくれていた中高生、とくに帰り際に「来てよかったです。」と話してくれた高校生の言葉に、やってよかった!と実感。

今日は、町内の小学校高学年から高校生、保護者、指導者の皆さんに、幕別の中学生も加わり、約90名が正月休みにも関わらず(開催決定が12/30の夕方〜の告知・笑)集まってくれた。声かけ頂いた、浦幌サッカー少年団の木村さんや、きっかけを作ってくれた元浦幌小学校の加藤先生には心から感謝です。

将来的な仕事の在り方や働き方に様々な予測がされる中で、あらためてその必要性が求められている「時代を読み、問題を発見し、解決策を組み立て、実現に向け行動していく」、いわゆる「社会を生き抜くチカラ」をスポーツで身につけると仮説をたて、昨年から手探りで動き始めたけど、トップアスリートである数々のキャリアを積んできた山瀬さんのきょうの話を聞いて、この方向性や考え方が間違っていないことを確信したのと同時に、スポーツを軸にした時に、「好きなこと」という面から、より主体性や当事者意識を育めることも確認できたことは、大きな成果だった』
※講演前に近江さんのおそらく奥様の手作りのおにぎりや漬物、豚汁をいただき、これがとても嬉しく懐かしく、非常に美味しかったです!ありがとうございます( ◠‿◠ )

小田新紀さんからのメッセージです( ◠‿◠ )

『昨日に引き続き、本日も現役Jリーガーとの縁。

元日本代表10番を背負っていた山瀬功治選手。

(札幌→浦和→横浜FM→川崎F→京都)

お世話になっている浦幌町の近江正隆さんコーディネートのもと実現。本来は浦幌の子どもたち対象でしたが、近江さん、そして浦幌サッカー少年団の木村監督さんのご配慮で、急遽、幣クラブ中学生チームの選手たちも参加させていただきました。
そして、この山瀬選手。小・中学生時代に在籍していたSSS札幌さんの当時の指導者が、現在、幣クラブ中学チームの監督でもあるというご縁。

一昨年には、山瀬選手のお父さん(元バイアスロン五輪選手)のご協力で、バイアスロン教室も開催してもらったこともあります。

長く現役を続けるには、やはり理由がありました!

山瀬選手の人間力。その基になっている家庭環境、周りのつながり。

昨日のセレッソ大阪清原選手同様、自己判断力・解決力。

大事なのは「知識」の教え込みではなく、生きるための「知恵」を身に着けること。

さらには、スピードスケート五輪選手の髙木姉妹との共通点を多く感じながら拝聴しました。

そして、小さいころは、サッカー以外にも多くのスポーツをやっていたこと。サッカーでもGK以外の全ポジションを経験していることも話していました。

今回の講演のテーマは「生き方」。

本日の内容を、スポーツに携わる子どもたち、若者、そして保護者の皆様に、今後ももっともっと発信していってもらいたいと思いました。』

木村努さんからのメッセージです( ◠‿◠ )

『新年早々素晴らしいお話を聞き学ばせて頂きました。

今も現役でいる事が、その人柄、人間性から感じ取ることができ、技術以外の大切な部分を聞くことが出来ました。

決断。挫折。努力。信念。

壁を乗り越えている人は、人としても素晴らしく、それを近くで感じ取れただけでも、これからの育成年代の関わりにプラスになりました。

指導に大きく変化する予感…

そして公演が始まる前に個人的に色々お話をさせて頂き、指導のヒントに繋がる会話が出来ました。
最後の質問で少年団は来週の全道予選があるので、

「大事な試合前の準備、過ごし方、意識、考え、試合の入り方、」

子供達がいる前であえて質問。

子供達ちゃんと聞いていたかな…

ここから自分で考え自分で行動。

小学生が感じてくれたら大きな成長。

最初は前向きでなかった中学生。

最後は行って良かったと。

本当に誘って良かった!!

終わったあと、トップアスリートがこの田舎の会館に居るのが不思議な感じでした(笑)

企画してくれた近江さん本当にありがとうございました!

子供達より自分が学ばせて頂きました!』


高校時代の同級生、庄野優子ちゃんからもメッセージを貰っています( ◠‿◠ )

 


『高校時代いっしょに仮装カラオケやって決勝戦までいった理恵子の旦那様である山瀬功治さんの講演会。

この企画をした近江さんとは大阪からの修学旅行生のファームステイで何度かやりとりさせてもらいつつ、一度もお会いしたことがなかったので、近江さんにもご挨拶したいなとおもいいってきました。

功治さんはやはり熱い男で、どのエピソードにも、どの思い出にも、その人柄が現れており、参加していた子供たちの集中力にも押されてしっかりと想いをきいてこれました。

印象的だった言葉は

○自分で考えてなんでもやることをきめること。

○サッカー選手として素晴らしくあるまえに人として素晴らしくあること。

○自分の限界をきめないこと。

○肩書きなどではなく人と人との付き合いで繋がりをもってきたこと。

○キャプテン翼を読んで俺もカッコいいとおもったこと笑などなど

トップアスリートとしてやってきた人だからこそのエネルギーと説得力でその場の人を惹き込んでいました。

合間に入る理恵子の笑い声も水曜どうでしょうの藤村Dなみに効果をそうして、素敵な一時でした。

理恵子に感謝している言葉もとても素敵でした。

ただ、理恵子はマイクいらなかったなーとおもいました!!!!

強行スケジュールだったけど行けて良かったです!(私も少しだけ話しました。地元の友人は私の声の大きさで盛り上がっています笑)』

マンションでの4年間

マンションでの4年間

今暮らしているマンションに引っ越してきたのは2013年1月のこと。
大型のファミリーマンション。春になるとコブシの花を咲かせてくれる公園が目の前にあり、この木の下には大勢の子供たちが集います。



京都に到着し、大きな荷物を新しい部屋に運び入れている時に気づきました。

「東京からサッカー選手が引っ越して来た!」

と、既にあちこちで騒がれていることに。

夫はともかく私は一般人。結婚してからというもの、とにかく顔が見えないよう裏方で暮らしていたタイプの人間だったので(京都新聞のアス飯動画が始まってからは40歳目前にして真逆の方向へ。これもまた運命なのでしょうか。笑)ここまで騒がれてしまうとどういった距離感で接するのがベストなのか戸惑っていたというのが正直なところ。

ですが、子供パワーには勝るものなし(๑˃̵ᴗ˂̵)

人懐っこい子供たちを通じて急激に距離は近くなり、保護者の皆さんとも直ぐに仲良くなれました。╰(*´︶`*)╯

実は夫婦共々、このマンションに出逢えたことで、これまで身構えていた硬い殻を取っ払うことが出来たのです。

京都でコミュニケーションの幅をぐんと広げることになったのは、間違いなく強烈にウエルカムだった住人の皆さんの第一印象があってこそ。

夫が練習から帰ってくると、子供たちが歓声をあげながら連なって車までお迎えに行くのが日常の見慣れた光景でした。コブシの木の公園でサッカーしたり、サイン会をしたり、お母さん方も交えて皆で花火をしたことも。

夫の入居を機に、京都サンガのサポーターが一気に増え、1試合に30人近く観戦に来ることもしばしば。

ピッチ側からもはっきりと顔が見えるようで

「今日マンションの子たち来てた!」

といつも嬉しそうに話していました。

忘れもしない2013年のプレーオフ決勝戦前日のマンション前。
サプライズで夫をお見送りしてくれたあの日。



スーパーサイヤ人からの贈り物

https://yamaserieko.cookpad-blog.jp/articles/114664

闘いに破れ、肩を落として自宅に戻ると、玄関のドアノブにこんなメッセージがかけられていて。

「子供達に夢をありがとう これからも応援します 母一同」

悔し涙が一転、あたたかさに包まれる涙に変わった2013年12月初旬の出来事でした。

お手紙を貰ったり、お話をしたり。夫と子供たちは特に密接な関係を築いていました。

そういった中で、スポーツには浮き沈みがあり、負けが続いたり、夫自身の波が下がることも。

私は勝手に、子供たちがガッカリしているのではないか、しんどい思いをさせているのではないかと。側近ゆえの色々を味あわせてしまうにはあまりにも幼い。かえってサッカーを嫌いになってしまったらどうしようと、一時はマンションからの引っ越しを考えたこともあります。

そんな時、1人のお母さんから

「何を気にしてるの!そんなもの山瀬選手だって人間なんだから、色んな時があるんだからって教えるから大丈夫よ!」

と、背中を思いっきりバチーンと叩かれ、笑い飛ばされたことがあります。

お母さんたちの方がずっとずっと頼もしかったのです。

あれから3年。

再び巡って来たチャンス。

しかし、夢は破れ

https://yamaserieko.cookpad-blog.jp/articles/180396

そして、夫は契約満了となりました。

今年のクリスマス。

「感謝祭をするから理恵子も必ず来てよ!」

と念を押され、夫婦でフットサルコートへ。

サッカーしたり

サッカー教室をしたり

プロデュースグッズを買ってくださっていたお母さんもいらっしゃった!嬉しい!(๑˃̵ᴗ˂̵)

記念品の贈呈まで!

サイン撮影会!(私と撮影したご家族がいらっしゃいましたが、後で見て我に返って捨てないでくださいね!(*≧∀≦*) 笑)

笑顔溢れる感謝祭!




この4年間、良い時も悪い時も、いつも一緒だったマンションの皆さん。気がつけば子供たちの顔つきがこんなにも凛とし、身体も大きくたくましくなりました。同時に、お母さんやお父さん、私たち夫婦もきっと、子供たちと一緒に成長してきたのだと思います。

最後に

「本当のところはどうでしたか?気疲れしていませんでしたか?」

と尋ねてみると、皆さん口を揃えて

「とんでもない!私たちとしたらラッキーとしか言いようがなかった!嬉しいことしかなかった!本当にこのマンションに来てくれてありがとうございました! 」

とおっしゃってくださりました。

改めて、こんな素晴らしい方々が集うマンションで4年間も暮らすことが出来たのが、奇跡のように感じてなりません。

これからも子供たちの成長を楽しみに。また必ず!元気な顔を見せに来ます!(๑˃̵ᴗ˂̵)

お世話になったマンション住人の皆さんに心より感謝申し上げます。