添付は2022年春に発売された#Number の記事。
今からちょうど22年前に出逢った功治さんの第一印象。
オブラート無し、赤裸々に表現するなら、感情がどこにあるのか分からない。矢印がやけに内側を突き刺さすように向いている極めてドライな人間だなと。且つ外皮が猛烈に「カタイ」印象で、何故なんだろう、何がこうまでさせているのだろうと、純粋に疑問に思っていました。
あまりに頑なな「細胞壁」を外側から優しくノックしながらお尋ねするニュアンス。幾度となく会話を重ね、根底や真意、本質を探ろうと努めていた記憶があります。
(中学時代、たった1人でブラジル留学を経験し懸命に闘って来た中で培った、己を守り抜く為の唯一の術だった模様)
カップルといえどももともとは他人同士。
互いに歩んできた道、生き方、思想、性質があって、何が良くて悪いのか、どれが正しくて間違っているかなんて誰にも分からない。
二宮さんからは過分なお言葉を頂戴したけれど、私と出逢わず、別な方がパートナーだったとしたら、運命が変わり、そもそも大怪我すら無かったかもしれないし、アテネ五輪からの海外移籍だった可能性だってある。
典型的とも言える無限パズルな世界観。
こればかりは結果論、あってないような水もので、何事も、実際の時を経てみないと分かりません。
ですが、共に歩むと決めた相手なのであれば、向かう方向性くらいは合わせていたい。
私は、カップルだからといって、必ずしも同じ船に乗る必要はないのでは?と考えているタイプです。例え別々の船に乗ったとしても向かう方角さえ合わせておけば、どちらかが沈没しそうになった時、もう片方が助けられる可能性がある。夫婦、パートナーはバディみたいな関係性だと、共倒れや滞りリスクを減らせ、物事の進行もスムーズな感覚があります。
(何故ここまでして合理性や効率、スピードを求めたのか?それは、アスリートの選手生命が極めて短命なものだと知ったからです。人生を2回生きることと同じ。今生きているのは1回目の人生、凝縮版。結果を出さなければ終わる職業。私たちに与えられている時間は限られており、一瞬たりとも無駄に出来ない。全時間、全行動、全選択肢が強烈に大事になって来ます。)
功治さんは自分とは真逆なタイプの性格の人だったので、意見が対立することもしばしば。結婚前の札幌時代は雪の降りしきる中で取っ組み合いの喧嘩をしたことも⛄️🤣
このエピソードは功治さんの書籍や、二宮さんが執筆くださった別の特集コラムにも記されています。
浦和レッズ時代からずっと功治さんを応援してくださっている河野正記者にも取材時に上記ニュアンスをお話させていただいたところ
【「今の彼が一番好きです」偉業を達成した山瀬功治と、鉄人を支えた姉さん女房の物語】
という題名の記事になり、冒頭部分を目にした瞬間、無性に恥ずかしかった覚えがあります🤣笑
ただ、河野さんが書いてくださったこの神的コラムのお陰で、いまだにあちこちからお褒めの言葉をいただけます。河野さん、有難うございます🤱
https://www.soccerdigestweb.com/news/detail/id=79654
【2020年09月25日
取材・文 ●#河野正
J2愛媛FCのMF山瀬功治が、第16節のFC町田ゼルビア戦(9月2日・ニンジニア)で達成した21年連続ゴールは、遠藤保仁(ガンバ大阪)の22年に続く輝かしい金字塔だ。J1に限れば、小笠原満男(元鹿島アントラーズ)の17年が最長。当時J2のコンサドーレ札幌でプロのキャリアをスタートさせた2000年から、毎年得点を重ねてきたことになる。
前半のアディショナルタイム。横谷繁の出色の縦パスで守備ラインを切り裂き、預かった丹羽詩温が右からグラウンダーの最終パスを配給すると、左足でゴール左隅に同点弾を蹴り込んだ。「連続得点は目標のひとつなので更新できて良かった」と喜んだ。
得点を決めた山瀬は一目散にゴール裏へ駆け寄り、誇らしげに左胸のクラブエンブレムをつまんでサポーターに感謝の気持ちを伝えた。愛媛に加入した昨季、初得点を挙げた敵地での大宮アルディージャ戦でも真っ先に遠方から集まった支援者の元へ疾走。こういう情景は京都サンガ時代から顕著になり、アビスパ福岡でも数多く見られた。
「現役を続けたいけど、叶わないかもしれないという状況で愛媛や福岡が機会を与えてくれた。その恩が身に染みてありがたいんです。年齢的にいつ引退するか分からないけど、今はクラブとサポーターに感謝しながらプレーしています」
福岡との契約満了後、所属先が一向に決まらず、愛媛に合流したのは昨年1月8日のチーム始動日から1か月遅れの2月6日だ。京都から福岡への移籍にしても、契約合意したのは始動日前日の朝だった。
9月22日で39歳になった。年齢を重ねてプレーの幅が変化したように、人としての物腰や視野、心情なども大きく変わっていった。
浦和レッズに在籍した2年間、山瀬の出場した試合をすべて観たが、得点を決めて観客と喜び合うことはまずなかった。初優勝した03年のナビスコカップ(現ルヴァンカップ)で先制ヘッドを決めても、04年の東京ヴェルディ戦でハットトリックを完成させても同僚と抱擁しただけだ。
才気煥発な攻撃的MFとして脚光を浴びていた頃は、札幌→浦和→横浜F・マリノス→川崎フロンターレというJ1の強豪クラブを渡り歩いた。だが力の衰えは万人に共通した宿命。山瀬はこれを潔く受け入れカテゴリーが落ちても、クラブの規模やチームの実力が劣っても、対価には目もくれずプレーできる環境だけをひたすら求めた。
武骨で不器用だったせいか、若い頃は公私の間に一線を引いたが、移籍と経験によって内向的な一面も変化したようだ。「サポーターと盛り上がりたいという思いがより強くなったのは(4年間在籍した)京都の終わり頃からです。同じマンションや地域の人たちと交流するうちに距離が縮まり、サポーターが身近な存在になったんです」としみじみ語る。
9月23日のアルビレックス新潟戦でJ1、J2通算551試合出場。戦歴から故障の少ない鉄人を連想するが、短期間に両ひざの前十字じん帯を断裂している。札幌時代の02年8月に右、浦和では04年9月に左、いずれも復帰までに約8か月かかった。03年6月には右ひざ半月板のオペ。横浜でも腰の激痛に悩まされ、06年4月に椎間板ヘルニアの手術をした。
そんな山瀬を支え続けてきたのが、4つ年上の理恵子夫人だ。
2度目の前十字じん帯断裂をきっかけに、Jリーグやプロ野球など一流選手の栄養・食事指導で著名な管理栄養士の川端理香さんと個人契約し、リハビリ食の基礎や怪我を回復させる栄養学を身に付けた。今では複数の媒体で料理レシピを紹介し、講習会や講演会などにも引っ張りだこの料理研究家となった。
さらにアロマテラピーインストラクターやスポーツアロマトレーナーという顔も持つ。横浜に移籍した05年夏、夫を襲った腰痛は数か月後に歩けなくなるほど悪化。理恵子さんは矢も楯もたまらずアロマに救いを求め、栄養学の時のように猛勉強した。精油といって植物から抽出した天然素材の芳香物質を使ったマッサージをはじめ、嗅覚や呼気からも成分が吸収される全身トリートメントなど、さまざまな施術に取り組んだ。
「浦和に来た年は札幌時代のプレーが戻らず、アテネ五輪代表に入れるか夫は毎日悩んでいました。彼の苦悩は私の苦悩となり、精神的に疲弊してしまいました。あの時を思えば食やアロマを学んだ苦労はなんでもありません。とにかく夫のために、という思いだけでした」
19歳の山瀬と出会って19年目。貧しさこそなかったが、これだけ辛苦をともにしてきたのだから糟糠の妻、という言葉が似つかわしい。
姉さん女房は「選手としていい時期も見てきましたが、恩義や感謝の気持ちなど人間味がすごく増し、人として成長した今の彼が一番好きです」と情愛たっぷりに話した。
01年のJリーグ新人王から19年が経過した。元日本代表は「持っているものをすべて使い果たし、一日一日を大切に過ごしてやり切ったと言える選手生活を送りたい」と昔から変わらぬサッカーへの誠実さを示すと、「選手としての山瀬功治は、理恵子とふたりで作り上げたものです。今もやれているのは彼女のおかげ、感謝しかありません」と、金の草鞋を履いても2度と探せぬ連れ合いに謝辞を述べた。】
功治さんは歳を重ねる毎に眉間の皺が一本ずつ薄くなり、人間味がじわじわと増して、表情も柔らかくなって来ました。
(私に対しては基本、スーパー厳しい人には変わりありませんが🤣)
長い年月を経て培われた人間性の豊かさが、彼のサッカー人生や一仕事人として良かったかどうかはまた別の話として
(「結果」を残すことだけにフォーカスするなら、超ドライで自分のみに集中している方が局所的に強いシーンもあるので。ただ、1選択だけでなく引き出しを多く持つ、顔を広く持つことは、長期スパンにおいて、また人生の岐路等において重要だと思っています。人は1人では生きられません。)
今こうして功治さんが日々、元気に暮らしていること、何より大勢の方から愛して貰えているこう爺さんを見ているだけで私自身がとても幸せです🤱
彼が希求するサッカー小僧としての永遠のチャレンジと成長、結果にとことんこだわる為、妻、家族というよりは、一選手の専属トレーナーやマネージメント事務所的な立ち位置として従事した22年間。
これからも功治さんを第一に、一生懸命サポートさせていただきますので、引き続き変わらぬ応援を宜しくお願い致します🙇♀️
道新スポーツ 2023/02/13 19:00公開記事
《元赤黒戦士の現在地・MF山瀬功治》遠藤保仁に並ぶJリーグ24年連続得点を目指す
今季J2で戦う22クラブの中で、北海道コンサドーレ札幌と非常に縁が深いチームがある。山口県全域をホームタウンとするレノファ山口FCだ。チームを率いる監督と2人のコーチはいずれも札幌のOB。そして選手として、札幌アカデミー育ちでトップチームでもプレーした副キャプテンと、札幌でキャリアをスタートさせ、今年Jリーグタイ記録に挑む大ベテランが在籍している。
2000~02年に札幌在籍の山瀬は今年プロ生活24年目
今回紹介するのは2000年から02年まで札幌に在籍し、今年プロ生活24年目を迎えるMF山瀬功治(41)だ。03年に浦和へ移籍した後は、横浜M、川崎、京都、福岡、愛媛と渡り歩き、22年に山口へ加入。かつて札幌で共にプレーした名塚善寛監督(53)の下で34試合に出場し2得点の成績を残した。21年ぶりに1シーズンを共に戦った名塚について「札幌に入団したときは(名塚は)キャプテンで年齢も上の方。普通にしゃべったりはしていましたが、ちょっと怖いではないけれど、気さくにしゃべり合うことはないような関係でした。そういう印象はありましたが、ナツさんも山口でコーチをする期間が長かったこともあるんでしょうけど、コミュニケーションの取り方が指導者になって変わっていて、フレンドリーな部分と元々持っていたしっかり締めるところ、きちんとやるところをうまく使い分けているなと思いました」と印象を語る。
連続得点は「達成できるに越したことはないし、話題になれば山口のためにも良いかな」
今季、山瀬はJ2磐田のMF遠藤保仁(43)に並ぶJリーグ24年連続ゴールの大記録がかかっている。「それを期待してくださっていることはよく聞くので、達成できるに越したことはないし、話題になれば山口のためにも良いかなと思います」と意欲を見せる。一方で「ただまあ、結局みんな試合に出れば点数を取りたいと思ってやっているじゃないですか。こうすれば絶対に取れるという方法はないので、常にできる準備をしっかりして、試合に出たときは良いパフォーマンスができるように一生懸命、全力でプレーするだけ。まずはそこにしっかりフォーカスして、今自分にできることだけ取り組んで、その結果、得点という形に結びつけば」と、大ベテランは入念に準備を整える。
プロ初ゴールは2000年湘南戦の延長Vゴール
山瀬のプロ初ゴールは、Jリーグデビュー戦となった2000年5月4日の湘南戦(札幌厚別)で生まれた。後半途中から出場すると、延長前半7分に大勢の札幌サポーターが陣取るゴールにヘッドで押し込んだ。「ゴールの目の前でちょうどいい具合にルーズボールがこぼれてきたので、ああだこうだと考えるよりも必死にゴールにボールを飛ばすことだけを意識しました。実際は当たり損ないみたいな感じになったけれど、逆にそれが良かったのかな」と当時の得点を振り返る。
地元出身選手の初得点はそれだけでも非常にうれしい出来事だが、札幌の勝利を決定づける貴重なVゴールでもあった。「フラッシュバックするのは(ゴールの瞬間よりも)その後ですよね。喜んでて、確かあのときは岡田さんのところに行ったのかな。あそこのシーンが強烈に鮮明に残っていて、たぶん一生忘れることはないと思います」。チケットが完売し観客1万9450人、超満員の厚別で達成した初ゴールの記憶は、今もその脳裏にしっかり刻まれている。
「少しずつ選手寿命の枠をカズさんが取り払ってくれて」
今年で42歳。プロ入りしたときに現在の姿を想像していたか聞くと「思ってなかった。当時は32、3歳でもうベテランで、そのくらいで引退される方が多かったので」と返ってきた。名塚監督が現役を引退したのが32歳。「当時そうは思わなかったけど、当然、時代は変わりますから。そこからいきなり今に飛んだわけではなく、24年間という月日がある中で、少しずつ選手寿命の枠をカズさん(三浦知良)が毎年取り払ってくれて。自分もプロ10年目くらいたった段階で30代中盤、後半くらいまでやりたいなと思ってましたし、それが30代中頃になるとプロ20年目を目指したいなとなってきて。で、そこまできたら40歳までいきたいとか。そんなもんですよね」。淡々と話すが、Jリーガーの平均引退年齢が26歳と言われる中で、この年齢まで契約を締結してくれるチームがある事実がすごさを物語っている。
「少ない時間でもチームにインパクトを残せるような仕事ができるように」
「チームとしてはトップ6を掲げているので、1年通してそこの順位争いができるような形で戦っていきたい。個人としてはチーム目標に少しでも力になれるように、それがプレーでできれば一番良いですね。この年齢になってくると毎試合出るのは難しくなってきているのも事実。まずはできるだけ多くの試合に絡めるようにして、少ない時間であっても何かしらチームにインパクトを残せるような仕事ができるようになりたい」。今季、偉大なる記録を達成したとき、レノファ山口の躍進も訪れているはずだ。
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今シーズンでプロ24年目を迎えるレノファ山口FCの元日本代表MF山瀬功治は、2023年3月19日に石川県西部緑地公園陸上競技場で行われた明治安田生命J2リーグツエーゲン金沢戦に80分から途中出場。試合終了間際に今季初ゴールをマーク。
J2札幌時代の2000年から続く連続シーズン得点記録を24年連続とし、MF遠藤保仁(磐田)が持つJリーグ歴代記録に並ぶ偉業を達成した。
(Jリーグ歴代記録トップタイ。尚、MF遠藤保仁(磐田)の記録更新が途絶えている為、来季MF山瀬功治(山口)が25年連続ゴールを達成すれば、日本新記録の樹立となる)
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明治安田生命J2リーグ第18節🆚 水戸ホーリーホック 5.28(日) 15:00 K.O. ケーズデンキスタジアム水戸にて、レノファ山口FCの元日本代表MF山瀬功治 がJ2通算350試合を達成。
山瀬は2000年に当時J2のコンサドーレ札幌(現・北海道コンサドーレ札幌)でプロキャリアをスタート。同年5月4日のJ2第10節、湘南ベルマーレ戦でJリーグ初ゴールを挙げた。
以降は毎年得点を重ね、浦和レッズ、横浜F・マリノス、川崎フロンターレ、京都サンガF.C.、アビスパ福岡、愛媛FCと、移籍先でも常にゴールを記録。過去には大きなケガとも戦いながら、昨年はJリーグ史上4人目となる通算600試合出場も果たした。
(2023年9月27日現在、通算644試合出場まで記録を伸ばしている)
また、山瀬の41歳5カ月25日での得点は、FW三浦知良(横浜FC)の50歳14日、MF遠藤保仁(磐田)の41歳6カ月24日に次ぐJ2歴代3位の年長記録。FW玉田圭司(長崎)の41歳5カ月3日、MF中村俊輔(横浜FC)の41歳4カ月3日を抜いた。
1999-2002
#コンサドーレ札幌
2003-2004
#浦和レッズ
2005-2010
#横浜Fマリノス
2011-2012
#川崎フロンターレ
2013-2016
#京都サンガFC
2017-2018
#アビスパ福岡
2019-2021
#愛媛FC
2022-
#レノファ山口FC
#24年の軌跡
#山瀬功治