2016年シーズンの応援ありがとうございます。会社、スポンサーさん、サポーターの方。たくさんの方の運命を左右する日でした。結果が全て。受け止めます。
誤解を招くリスクや批判も覚悟の上でお話します。
この一戦を迎えるにあたり、思っていたことがあります。それは「天命」という言葉です。
運命を左右する大事な一戦でしたが、夫にとって、私にとって、毎週末の試合が運命を決める大事な試合を繰り返してきた17年間です。どの試合も甲乙つけられません。
プレーオフに関して言えば、他チームも見て感じたこと。それは、いつも以上にたくさんの強烈な想いが錯誤し、もしかすると、見えない力が運命を動かすなんてこともあるのかもしれない。試合に向けてやり尽くした、万全の準備をしたのなら、あとは人事を尽くして天命を待つ。どんな結果が来ても受け止めると迷いなく送り出した一戦でした。
夫が2度目の大怪我をしてから、毎日「明日引退するかもしれない。明日はもうこないかもしれない。だから今日という日を全身全霊で」と思いながら生きて来ました。それがたまたま十数年間続いたという感覚。
職業柄、日々、食事の大切さを訴えていますが、本音で話しますと、自分の存在が足を引っ張った覚えはあっても、支えたなんて感覚や自負みたいなもの、1ミリもない。
選手にとって食事管理なんて当たり前な空気みたいな行為で、私ごときのど素人が10年たらずで得た食の知識なんぞに左右されない確固たるベースがあります。
プロの選手はやっぱりプロフェッショナル。想像を絶する日々の犠牲、努力により選び抜かれた方。次元が違い過ぎて凄みしか感じない。尊敬の念しかありません。
試合に出ていなくても、怪我をしていようと、調子が良かろうと悪かろうと、全選手、全瞬間がプロです。
今年は夫が最年長ということで、節目節目で、夫以外の選手の姿もたくさん見てきました。熱い言葉を聴く度に心震わされました。単に私が知らない世界だっただけで、毎年、毎時間、過去も未来もずっとずっと同じでしょう。
以前は試合結果に一喜一憂したり、あろうことか夫に八つ当たりしたことも。ピッチに立ててもいない身で、まるで自分のことのように錯覚し、勝手に責任を感じていた時もあります。
しかし、そんな感情になることすらおこがましいというか、夫に対して何て失礼だったのだろうと思う自分が今います。
数年前、尊敬する大先輩の奥さんから「理恵子ちゃんが責任を感じなくてよい」と言われたことがありました。その言葉がようやくストンと自分の中におちてきて。
「なるようにしかならない。私たちは何もできない。いつも変わらない空気感、家に帰ってほっと出来る。それがあればよい。ただそれだけ。」
同じ先輩が、昨日くださった言葉です。
この16年間で得たもの。それは「祈る」という感覚。この言葉以外に表現しようがなく、そんな心持ちにさせてくれて、夢を見させてくれてありがとうの気持ちでいっぱい。切なさにも似た感情はありますが、悔いは何一つとしてありません。
夫は当の本人なので、色々を受け止めるまで時間がかかるでしょう。私とは全く違う心持ちでいると思います。
何が正解か分かりません。
ですが、私としては、一緒に闘ってくださった皆さんに対し、言葉が間違っているかもしれませんが、たったひと言、ありがとうございますと感謝の気持ちを伝えたいと思います。