プレーオフ決戦から2夜が明け、ゆっくりと激動の日々を振り返っています。
昨年のちょうど今頃、京都サンガを契約満了となり、年が明けても移籍先が見つからず、夫の背中が、日毎に小さく、丸くなっていったのを、昨日のように思い出します。
彼の言葉を借りるとするならば、アビスパさんに拾っていただき、再び火を灯していただいた選手生命でした。
運命を分けたあの時「子供のように声をあげて泣いていた」「かける言葉すら見つからなかった」と言われながらも、 テレビでは映し出されることはないピッチ全体の空気感の全てを、この目で見届け、歴史の瞬間をしっかりと胸に刻みました。
2013年、京都でのプレーオフ決勝では見ることが出来なかった凛とした背中に、この上ない悲痛な時間の中で、かけがえのない宝物を得ることが出来ました。
人は何故、失ってからでないと気づきを得られないのでしょうか。
大きなうねりのある個の感情が複雑に交錯する陰影の世界。
私は発信者で、こうして綴ることが出来ますが、全ての選手、そして、携わる全ての方が、生き残りをかけて死にもの狂いです。
1人だけが苦しい訳ではない、それぞれの立ち位置があり、皆苦しい。
スポットの当たらない瞬間だって星の数ほどある。
それぞれの人間にドラマがあり、歓喜があるから残酷さが浮き彫りになり、明と暗が生き様を映し出すから、スポーツはこれほどまでに私たちを魅了し、感情移入させ、涙を誘い、人を育て動かすのだと思います。
昇格を叶えられなかったこと、側近に携わる者として本当に申し訳なく、お詫び以外ありません。
その上、まだまだ修行が足りず、一昨日の出来事を消化しきれず、細やかに伝える勇気も無いのです。
そんな中でも明言出来るのは、夫が現役を続けさせていただける限り、これまでの17年間ずっとそうしてきたように、全身全霊でサポートし、最後の時まで見届けたいと思います。
歓喜の瞬間が必ず訪れることを祈り、初めてプレーオフを経験した翌日、私が綴った日記を掲載します。
2013年
「国立まで応援に来てくださった皆様、TVの前で応援してくださった皆様、祈りを捧げてくださった皆様、本当にどうもありがとうございました。
そして、本当に本当に、申し訳ありませんでした。
夫には何を言っても響かなかった夜。
だけど今朝も、変わらず太陽は昇りました。私たちはここで生きていくしかない。
たくさんの責任の数々を、私も一緒に背負います。覚悟します。
大変申し訳ありませんでした。
負け惜しみにしか聞こえない。何を言っても届かない。
結果が全ての世界の中で、1人叫びたいと思います。
「全ての出来事には、必ず意味がある」と。
昨日、二時過ぎにホテルに帰宅し、酔っぱらいで、意識朦朧としながら、ずっとずっと、何を言葉にしたら良いのか、何を発信するべきなのかを考えていました。
正解は分かりません。
ですが、今日から、私自身が前に進む為にどうか書かせてください。
真面目過ぎるがゆえ、力を抜くことを知らない。常に全力。全身全霊。何でも正面から体当たり。
運だけで生きてきた私から見ると、なんて不器用な生き方をする人なのだと。
サッカー一筋。サッカー命。怪我をする度に「この寿命を10年削ってもいいから、今、サッカーがしたい」と言い続けてきた人。
そんな生き方をしていたら、精神的に参ってしまうと。大先輩から、お前は真面目過ぎでかえって損してる。怪我で出来ない時や、リフレッシュの為に、息抜きだって必要なんだぞと諭されていた光景を、今でも鮮明に思い出します。
二度の前十字靭帯断裂。椎間板ヘルニア、内側側副靭帯損傷、半月板損傷と、四度の全身麻酔による手術に加え、足底筋膜炎で半年近く休まざるを得ず代表を離脱したことや、フロンターレに移籍後は、重度のグロインペインに2年近く苦しみました。
私は、どうしたらこの怪我をなくすことが出来るのか、どうしたら力を発揮できるようになるのかと、本屋に行っては医学書や栄養学書、自然療法や解剖学の本を買いあさり、学校にも通うようになりました。成功学や心理学、脳科学、しまいに月の満ち欠けの勉強にまで及んで宇宙までも巻き込み、何とかしなければと1人懸命にもがいていました。
夫と一緒に暮らしていると、愛だ恋だの言っている場合ではなく、そこまで命がけでやっているサッカー、こちらも命がけで向き合わなければならないと。自分の人生ではなく、夫のサッカー人生の為に自分があり、今、自分には、何ができるのかということを、常に考えるような生活になっていきました。
アテネオリンピック、最終予選で落選。日本代表では10番を背負っていた時期があったのにも関わらず、ワールドカップには出場出来ませんでした。同じく、10番を背負い、スタメンをはっていたマリノスからの、あまりに突然な解雇通知。
フロンターレも、たった2年で、ほぼ解雇と同じような形に。
まだまだJ1でやれるだろうと、誰もが言ってくださったけれど、正式なオファーをしてくださったのは京都サンガFCだけでした。
カテゴリをJ2に落とすことになり、勿論、挫折感が無いと言ったら嘘になる。しかし、J1にあげる為という素晴らしい使命と、この年齢に来て、チームからは、最大限の評価をしていただく移籍となりました。
加えて、素晴らしい監督に出逢えました。
サッカーだけでなく、人としてリスペクト出来ると、この1年間、夫はその言葉を何度も口にしました。監督の口癖や、胸に響いた言葉を私にたくさん教えてくれました。
更には最高の仲間にも恵まれました。昼食は毎日、後輩と一緒にご飯に行きました。
皆、本当にいい奴ばかりだ、京都に来て本当に良かったと。そんな言葉も、何度も何度も聴きました。
後押しするかのように、自信を失いかけていた夫を救ったのは、マンションやご近所の皆様でした。
夫は、子どもたちやお母さん方のスター的存在でした。
毎日、毎日、子どもたちが、わざわざ少し離れた駐車場の車のところまで、ぞろぞろと迎えに来ます。それをお母さん方が、ニコニコして遠くから見守っています。
ある時私は、夫の変化に気づきました。
言葉が変わって行くのが分かったのです。
幸せだなぁ、可愛いなぁ、感動した、有難いね、嬉しいね。
俺、監督の為に上がりたいんだ、今のメンバーで一緒に上がりたいんだ、皆の為に、J1に上がりたいんだ。
●暮らしているマンションでの4年間の日々を振り返ります
https://yamaserieko.cookpad-blog.jp/articles/189259
周囲の有難さに気づき、自分、自分ではなく、他の誰かの為に頑張ろうと思えるような人になっていったこと。
数々の経験を経て、やっと掴んだであろうその感覚。
今、ここで夢を叶えることが出来たとしたら、きっと夫にとっての無数の挫折は、今日、この日の為にあったと思って貰えるのではないかと。
もっともっと、周囲の皆さんに、感謝できるような人になれるのではないかと。
だから、絶対に叶えて欲しかった。
皆の想いや願いに応えて欲しかった。
しばしば夫は、自分に自信がないと私に言いました。年齢を重ね、思うように身体が動かなくなったこともあるかもしれない。
しかし、貴方には経験値があるでしょう?と。そんなことを言うような人に、私が貴方の部下だったら絶対についていきたくない。昇格の夢がかかってるんだよ!と、思いっきり尻を叩いたこともありました。
けれど、サッカーの神様は無情。
目の前のチャンスと栄光は、あっという間に手の上から零れ落ちていきました。
●スーパーサイヤ人からの贈り物
https://yamaserieko.cookpad-blog.jp/articles/114664
試合会場では、関係者の方々が次々に泣き崩れていきました。けれど、私の目からは一滴の涙も零れませんでした。
それは、私が年長だ、しっかりしなければという思いと共に、責任を背負う覚悟。
一年間、一緒に闘って来たサンガの奥さん方との出逢いが、私自身にとって、何ものにも代え難い、一生の宝物だったから。
出逢えて、夢を共有出来たことだけでも、最高に幸せだったから。共に闘って来た戦友には、感謝の言葉以外見つかりません。
試合後、おそらく、バスの中から送ってきたであろう一言。
ごめん。皆の足を引っ張った。めっちゃ責任を感じる、と。
死んだような顔をしてホテルに帰ってくるであろう夫の前で、やっぱり泣くわけにはいかない。
一言目には、
しっかりしろ!前を向け!と。
この先きっと夫は、色々を背負いながら生きていくことになるのでしょう。
大丈夫。私も一緒に背負います。
本当にこんなに愉しくて、充実して、一つの目標に向かって頑張った一年は他になかった。
夢の舞台に連れてきてくれて、本当にどうもありがとう。一生忘れません。
だけどまた、必ず連れていってよ。
最後にもう一度。
人生に、意味のないことなんて何一つとしてない。
必ず、この意味が分かる時が来る。
1年間、本当にあたたかいご声援ありがとうございました。」