大西社長に山口で再会!京都新聞連載を出逢いから振り返ります

2023年10月9日記録

京都新聞社代表取締役社長兼京都新聞ホールディングス社長の大西さんに、新山口駅にてお逢いすることが出来ました!

ごあいさつ
https://www.kyoto-np.co.jp/list/corporate/president

大西さんは編集局長時代の同窓会で山口にいらっしゃったとのこと。

思い起こせば約2年前、大西さんが京都新聞の社長に就任された、2021年6月30日の日記が頗る面白いです🤣🤣🤣

「早朝から携帯がピコピコ連打❗️

本当に何事かと思いましたよ❗️

凄まじい数の連絡が届きまして、私の方がびっくりしています❗️🤣🤣🤣

自身をゼロから育て「アス飯」コンテンツのヒット仕掛け人でもあった、当時、京都新聞運動部及び写真部部長の「おにぎり部長」こと塚本宏部長と、塚本部長の大親友で、京都新聞取締役、論説・編集メディア特命担当だった大西祐資さんが、京都新聞社の社長に就任するとの記事が、本日付京都新聞朝刊一面に。

 


以下、記事を転載致します

【京都新聞社は29日に開催した第7期定時株主総会と取締役会で、代表取締役社長・主筆に取締役の大西祐資(ゆうじ)氏が就任する役員人事を決めた。山内康敬代表取締役社長・主筆は相談役に就任した。

大西氏は京都市出身で56歳。早稲田大第一文学部卒。1989年4月に京都新聞社入社。社会報道部社会担当部長、文化報道部文化観光担当部長、編集局総務、南部支社長などを経て、2018年から取締役に就任、編集・論説、メディア、特命を担当し、同年から20年3月まで編集局長を務めた。】


「え⁉️大西さんて、あの大西さん⁉️一緒に地べたに座ってポテトチップスまで食べた仲なのに⁉️」

とか

「もうこれからは大西さんをいじったり、ちょっかいかけたりとか出来なくなるの⁉️」

とか🤣🤣🤣

吹き出すメッセージが多数届きました❗️🤣🤣🤣

念の為、誤解のないように申し上げておきますが、大西さんはポテトチップスを食べた時どころか、私が1番最初に出逢った2014年から既に「偉い人」でしたよ❗️🤣🤣🤣

今日の自分があるのは間違いなく京都新聞さんのお陰です。

京都新聞での連載が1年ほど経った頃、大西さんに初めてお会いすることが出来ました。

こんなど素人が書く幼稚な作文的コラムを「素晴らしい、心に沁みます、教訓にしています」とお褒めの言葉をくださり、デジタルコンテンツの立ち上げ時には、塚本部長と共に、紙面連載アス飯を動画にまで展開してくださった。これが、福岡や愛媛での「アス飯」としてのメディア露出に繋がっています。

2017年、アス飯レシピの書籍出版直前、塚本部長が突然病に倒れ、当時の私は、これから何が何でも本を売っていかなければならないという決戦を控えていたにも関わらず、毎日、死ぬ程泣いていた。きっと大西さんもそうだったのではないでしょうか。

いつかの京都駅。

福岡行きの新幹線を待つ、カジュアルな駅構内のカフェで、大西さんと2人、塚本部長の話をしながら人目も憚らず、大粒の涙を流したことを一生忘れません。

京都新聞 塚本宏 「おにぎり部長」連載 2本の指で、生きる
https://www.kyoto-np.co.jp/subcategory/ikiru

体が動かなくなり、言葉を発することができなくなった塚本部長。しかし、着実に歩みを重ね、今年2月には2度、岡山理科大学でもオンライン授業で講師を担っています。

塚本部長や大西さんに対して、私には恩返しをするという使命がある。使命といっても、自分は特別な何かを持っているタイプでは無いので、今、1番の需要をいただいている、よりたくさんの方に、自らが生まれ持ち合わせた果てのない元気をシェアすることで、ここから付随して全方向への活気に繋がることを目指していきたい。(2021年6月30日の日記はここまで)

そんなこんなで、時を2023年10月9日に戻します。

大西社長に、山口に居る私たち夫婦の存在を何とか思い出していただけて、本当に良かった🤣🤣🤣

山口観光もされたようで、特に、萩の街や湯田温泉がとても良かったとおっしゃっていただきました🤱嬉しい!

京都新聞でアス飯連載が開始されたのは2014年4月でした。あれから9年以上が経過したいまだに、京都新聞さんで連載を続けさせていただいており、深いご縁と繋がりに心から感謝です。

以下からは、京都新聞との出逢いを1から振り返ります。

2014年2月。

突然届いた手紙。何かの手違いとしか思えず、何十回読み返しても文面が頭に入ってこなかったことを思い出します。

あの日から3年。


先日の京都新聞さんとの節目の会。外部からの人間で3年という長期間、また、80回以上連載を続けられた人が見当たらないこと。ここまで来たら何とか100回は頑張って貰いたいといった理想は掲げていただきつつ、現実的には繊細なところで。


終わりというカタチをとらず、例えば半年や1年に1度、何でも良いから遠方から元気であることを報告したり、何か別なものに変化させるか、はたまたアス飯をそのまま存続させるかは分からないけれど、今後も関係は変わらず継続し、いつでも戻って来て欲しいといった有難いお言葉まで頂戴しました。そのお気持ちだけで十分。京都新聞さんには感謝しかありません。


ちなみに、おにぎり部長に至っては、夫の挨拶時、感極まって泣いていらっしゃった(笑)


それもそのはず。部長を始めとするアス飯に携わった全ての皆さんが、このコンテンツにどれだけの時間と労力を費やし、やっとここまで辿り着いたか計り知れないからです。

無知過ぎる道産子。農家生まれの野生暴れ馬を、言葉のスペシャリストたちが全力で囲い(笑)守り、ゼロから大事に育て、レーンに沿いつつも、そこそこ自由に走り回れるようになるまで根気強く待った。皆さんに生かして貰ったとしか表現しようがありません。


京都新聞さんから有次さんの銀杏のまな板をプレゼントしていただきました。お世話になっていたのは私の方ですが、有り難く頂戴させていただきました。来月の収録で、このまな板のお披露目をさせていただこうと思っています。


我が家からは、京都サンガのユニフォームを。代表して現運動部長にお渡ししました。京都新聞本社に飾っていただけるそうです。感謝!


今でこそ、私の仕事を応援してくれている夫。


しかし何事も一筋縄ではいかないもの。

当時を振り返ります。(2014年2月)

「不器用な人。サポート(サッカー)と仕事、両立出来る?疎かにされると困る。ましてや、京都の歴史ある新聞社、しかも週一の連載だよ?」

突然のオファーに苦言を呈した夫。渋い表情からは、限りなくNOに近い心中を察することが出来ました。

しかし、矢の打ち間違えで飛んできたような話です。もともとあってないようなもの。100%チャレンジ精神のみでぶつかれる為、失うものが何1つとしてありません。

周囲の心配をよそに、まだ見ぬ記憶、未知なる世界に1人好奇心を掻き立てられていました。

それから間も無くして京都新聞本社へ伺うことになります。

面接を兼ねた初めての打ち合わせは、旧運動部のおにぎり部長(現写真部長)新旧アス飯担当デスクの4人で行われました。

私は、夫が横浜F・マリノス、川崎フロンターレ時代に2年間連載させていただいていたサッカーダイジェストテクニカルを持参。コラム(原稿)レシピ、栄養メモ、料理写真の4素材全てを自らで担っていたこと、校正には現横浜F・マリノスの藤井記者が入っていたこと、右枠には旬食材をピックアップしたコラム、左枠には3レシピを添付し、それぞれに栄養素のメモを。ボイス枠をつけ、夫の言葉も記載していた旨を説明しました。京都新聞さんからのオファー内容を察すると、おそらくこれに近い流れになるだろうと思ったからです。

余談ですが、初めての打ち合わせの時の皆さんの第一印象。

おにぎり部長(塚本部長)は

「オオォォオ!!!:(;゙゚’ω゚’):随分と迫力があるな…(笑)」

旧アス飯デスク(岡本さん)は

「シャキーン!ってサメみたいな感じ。怖そう(;´д`)」

現アス飯デスク(国貞さん)が1番物腰が柔らかくて優しそうで和みました(๑˃̵ᴗ˂̵)(笑)

※2015年10月の紙面改革から国貞デスクに担当が変わりました。国貞デスクがアス飯の企画発案者。発案と同時に滋賀に移動になり、アス飯を旧岡本デスクへ託す形に。2年の月日を経て本社へ戻られました。アス飯というタイトルを考案されたのは岡本デスクです。

初顔合わせが終わって自宅に戻り、夫には再度決意表明をして何とか説得。最終的には後押しを得て、覚悟を持って挑んだ連載でした。

※当時の日記

ご報告
https://magicalrieko.livedoor.blog/archives/300018.html

掲載には雑誌サッカーダイジェストテクニカル連載時同様、4素材(原稿、レシピ、栄養メモ、料理写真)が必要でした。

週一スパンとなると夫の毎日の食事管理とはまた別に試作を行わなければならない。

水曜には大枠を組み、〆切日の金曜、もしくは土曜早朝に料理撮影。原稿は出来るだけタイムリーなネタを入れ、翌週火曜発売に安堵した瞬間には既に1週間後の発売に向けて動き出す日々の繰り返し。並行して毎週末には夫の試合も挟みます。

立ち止まる時間や余白はなかったものの、心は日を追う毎に潤いを増しました。読者の方を想像し、無心で動き続けられることに、幸せや生き甲斐を感じていました。

まだ連載が始まったばかりの頃、ゲラは自宅のファックスに流していただいていました。ここに担当デスク(赤ペン先生)からのコメントが。

拙い文章にも必ずお褒めの言葉をくださる方で、素人の私にとって、この3行がどれ程の励みになったか分かりません。言葉の力は本当に偉大。

あろうことか、つい最近まで文字数を勘違いして(文字数オーバー)原稿を出していたことが発覚。何で指摘してくれなかったんですかと尋ねてみると、何度も指摘したよ、山瀬さんが人の話を聞いてないだけ(笑)とチクリと刺された後「素材を生み出すのは容易でない。だけどあるものを削るのは簡単。」とサラリ。なるほどと思いました。

コラム題材についても、デスクが毎回ご提案くださっていました。現役の妻であるためチームとの兼ね合いが難しい。特に、サッカーに踏み込んだ内容は週末の試合結果、夫の近況、パフォーマンスによっても左右され、この辺りの繊細なバランスは、デスクと相談しながら、NGなのか、今行くところかを決めていました。

詰まったり、自分でも何を伝えたいかボヤッとした状態で原稿を出すと、必ず電話がかかってきます。そんな時でも否定されることは一切なく、核となる部分を尋ねられるだけ。

時には他愛のない会話から電話が始まることも。私からするとただの雑談。しかし、デスクからすると次のコラムの為の意図的な会話で、聞き耳をたてているのです。話の最中にデスク視点で「その話面白い」と思った瞬間「それ良いじゃないですか、今のを纏めてちゃちゃちゃっと書いてみましょう。山瀬さんならすぐに出来ます」と尻を叩かれ、スパンと電話を切られる。

つまり、知らず知らずのうちに脳内を探られ、取材されていたのです。会話からコラムに反映させる根となるポイントを見つけて助言されたり、場合によってはコラムの題材自体あまり面白くないから、また別の、読者の方が興味をひく題材へと次々に話をふられる。

完璧に甘えさせてくれるわけではなく、ここまでヒントを出したのだから、あとは自らで考えて書いてみようというスタイルの育成でした。

渦中にいると分からないものも、俯瞰すると流石言葉のプロだなと。懐に入り「人間」を見る新聞記者の特徴が節々に際立って見え、私はそこに、凄みみたいなものを感じていました。

コラム内容は料理や栄養に止まることなく、北海道話や習い事のバレエについて綴った回も。思い起こせば登場人物も無数にいたように思います。

文面に必ず四季を取り入れていたことは、自身の精神的支柱を反映させたものでした。忙しい日々の中、新聞を読むことで情景を思い浮かべていて欲しい。人生は春夏秋冬を巡るようなもの。私たちは本来、季節の移り変わりや自然の流れに沿って生きていくものなのだと思います。

 

 

「シンプルに、誰がどの角度から見ても分かりやすく」がデスクの口癖。言葉足らずの感覚的で荒削りな素材を、てにをはを整え、無駄を削ぐことで美しく。伝えたいことや本質を浮かび上がらせる手法を、いつも背中で教えていただいていました。

レシピに関しても同様。あしたのアスリート飯をうたっていますが、標準をそこに合わせているようでいて局所ではない。カメラのレンズで言えば「開放」と同じ原理。外側があるからピンが生きる。読者全体に想像力を持っていくよう、常々アドバイスされていました。そのお陰でレシピアイディアに詰まることがなかった。声がけの力も、身に染みて感じています。

素材を絞り出すのは私の仕事。しかしそこから組み立てに手を貸していただいている時点で既に自身の手から離れています。私の名前が代表で記載されているだけで、正しくは連帯作業が生み出した共同作品。読者の方に更なる成長を育んでいただくため「行ってこい、頑張ってこい」と、大切な誰かを送り出している時のような心持ち。

時に側近の立ち位置から夫を取材し、心をえぐりとったり、自身の不安定な心情をストレートに表現した回も。人は苦しい時に真価だとか、どう生きるのかを問われているような気がします。心を動かされたり感動が生まれるのは、良い時だけでなく、寧ろしんどい時の生き方、どん底の中で得る極限の志に響くことが往々にしてあります。

尋ねたことはありませんが、担当デスクは自由に伸び伸びと広く視野をとることで、固定されがちなイメージを良い意味で乱立させ、私という人物像に幅を持たせたかったのでしょう。異質さが生まれたのはおそらくこの為。

投書やお手紙をいただくことも多数ありました。過分なお言葉を頂戴しました。読者の皆様に心より感謝申し上げます。

こうして破茶滅茶の中で駆け抜けた1年。この頃、驚くような変化が生まれてきます。

2年目に入ると動画連動にまで発展。

人生、何が起こるかわかりません。

これまで「アス飯」に関して私が耳にしたのは、極めてポジティブな言葉のみ。ネガティブな情報は一切届きませんでした。なかったわけではない。私を守るため、余計な心配をかけないために影で踏ん張る人たちが大勢いて、それをこちらに見せなかっただけ。

いつも「あなたは凄い、反響がすごい、絶対できる、我々が山瀬さんを守るから。一連托生ですよ。」

そんな力強い言葉で背中を押してくださるので、私は何の不安を抱くこともなく、一直線に突き進むのみでした。

どうすれば愉しく、気持ち良く、夫のサポートと両立しながら仕事ができるのか。自分のことを犠牲にしてまで、私を想ってくれる方々の存在がありました。

真の人間愛を感じています。

北海道の母からは電話が来る度に、如何なる時も頭をあげないこと、謙虚に。と言われ続けていましたが、そもそも皆の力が集結した1つの作品。ここに携われた自負はあるものの、気張っているだけで自信なんか皆無。頭をあげる概念になんか、一生かかったって絶対にならない。

携わった全ての人のお陰であり、誰1人として欠けては成り立たないもの。未来のため、子供たちのために、手を取り合い、皆で何かを達成させていく最高の感覚を得られたこと、たくさんの絆を得られたことが、京都新聞連載で得た私の最大の宝物です。

節目として、京都新聞の皆様、読者の皆様に、心より感謝申し上げます。

 

 

 

アス飯®関連記事、また書籍を読んでくださった皆さんのご感想、食レポはこちら!2023年9月13日更新!

https://yamasefamily.com/archives/13475


今日は、松尾翠アナウンサー&福永祐一騎手ご夫妻との出逢いをお話させていただきます🗒

2016年夏に、大阪で開催された株式会社アスリートフードマイスター『アスリート妻の会』。たまたま私の左隣に座っていたのがフリーアナウンサーの松尾翠ちゃんでした。

「ペン貸して〜!」

と話しかけられたことから始まって、その日のうちにすっかり意気投合!携帯番号の交換を。京都へ戻ると速攻でランチに誘われました🏃‍♀️

※光文社フラッシュの取材記事

抱いていたアナウンサーのイメージは華美な世界。ところが彼女は親しくなればなるほど古風で堅実、直向き且つ知的、博識、凛としている。一方で、とどまりを知らない想像力とアイディアや言葉、思考の豊かさがあり、祐一君の妻としての身の振り方を考慮する以外は従来、脳内に遮るものが何も無い。大自然に溶け込んで何処にいるのか分からなくなってしまう程ナチュラルな女性、というよりは汚れのない少女そのものである。少女というのか、少年というのか。いやはや、おばあちゃんにも思えてくるのは何故なのだ?ピュア、天真爛漫。可憐で美しく繊細、けれど大胆、漢、やんちゃ。

このカオス的なバランス感覚、人として何て魅惑的で面白過ぎるのだろう。

読む人の脳内を引っ掻き回す混沌とした言葉になっているのは、360℃全てが絶妙に、しかも外皮が柔らかい状態で入り混じっているから。

彼女の本質を見抜いている人なら、誰もがこのパルプンテな表現に大きく頷き、納得してくれる強烈な自信があります。

最大の魅力は感受性の爆発と吸引力、先読み、直感力、鋭敏な嗅覚。これが秀逸。

これが秀逸。

機転の利かせ方、気遣いの超絶達人。何の偽りも無しに、シンプルに奇跡の人、天使だと思っています。

こんなミラクルな子、世界中探しても先ず見つからないのでは?

彼女が本気で動き出す時が来たらとんでもなく凄いことになる。

そこから京都新聞デジタルホームページアス飯収録のゲストオファーを快く引き受けてくれたり、紙面連載の方にもレシピを考案してくれたりと、公私共に親交を深めていきました。

松尾翠ちゃんは京都サンガF.C.栄養講習会への協力も。

第3回「京都サンガF.C.山瀬理恵子栄養講習セミナー」 友情出演に感謝
https://yamasefamily.com/archives/project/第3回「京都サンガf-c-山瀬理恵子栄養講習セミナ

 

忘れられないエピソードがあります。

夫が京都サンガF.C.を契約満了になった日のこと。

翠に報告すると

「今コリスで会食してるから、リッコも必ずここへ来て!」と。

翠がとても親しくしている大切な友人2人を私に紹介してくれました。

翠の側にいた初めましてのお2人までも、私を元気付けようとしてくれているのがひしひし伝わります。

『しっかりしなければ』

気張ってはいましたが本音の心は涙雨。

この先どうなるのか。

肩を落とす人生の岐路の渦中。

コリスさんのお料理やワインがしみじみ美味しかったからこそ、五感情報はやけに鮮烈な印象となり、口に運ぶ度、全身に複雑に染み渡ります。

そんな中での無性の愛の面差し。

ヨシヨシと頭を撫で抱きしめられているかのような優しい時間が続き、内心、胸が熱くなっていました。

その後、翠が自宅に招待してくれて、再び皆が集まり二次会が始まりました。

全ていただきものだというワインのコルクを

「リッコ!下向かないでこっちを凝視して!今この時だからこそ、パァーッとやろうぜ!」

とでも言わんばかりに、翠が次から次へとあけていきます。

実はこの時、翠の旦那さんである祐一君を初めてご紹介いただきました。

 

https://number.bunshun.jp/articles/-/830895?page=1

翠に匹敵する神レベルの懐の深さ。豊富な経験があんなにも人格そのものに表れている方にこれまで出逢ったことがありません。

何て達観しているのだろうと。まるで仙人。

私は申し訳ないくらい競馬には疎いのですが、とにかく人となり。内面が素晴らし過ぎて、そこから祐一君という人間の大ファンになりました。

夫は朝からあちこち行かなければならず、この場に居なかったのですが、そこに集まっていた全員が

「功治君もここに呼ぼうよ!寧ろ絶対に呼びな!功治君、集合!」

と言ってくれました。

最終的に「初めまして」の功治まで、翠と祐一君のマイホームにお邪魔させていただくことになったのです。

極めつけは、祐一君が夕方頃から親友の海老蔵さんとご飯に行く予定が入っており「功治君も一緒に行こうよ!」と誘ってくださったこと。

突然降りかかって来た驚きの変化、状況にも関わらず、現状を踏まえた咄嗟の判断と行動。

溢れ出る温かさ。

自然体の配慮の言葉の数々。

この時、日本の第一線で活躍する人達というのは、生きている次元、一つひとつの行動の選択や遣う言葉や思考があまりにも違い過ぎると心の底から感じました。

そしてもう1つ。

誰一人として一切のマイナスの言葉を遣わなかった。

勘。集まったメンバー全員、一体何が見えていたのかと身震いがするほど勘が鋭く

「200%絶対に大丈夫だから。寧ろここからの方がもっと良くなる。これは絶対に。俺たち、私たちの言葉を信じて欲しい、とにかく安心していて欲しい。」

終始一貫して、全員にこの言葉を繰り返され、延々と鼓舞され包まれ続けました。

救われました。

氷っていた心が溶けていくようでした。

この京都新聞連載コラムを執筆することが出来たのは、こうした素晴らし過ぎる仲間の支えと、力強い言葉や鼓舞があったからこそです。

以下の日記は京都を出る時、松尾翠ちゃんが私にくれた言葉。泣きました。本当に嬉しかった。

「大好きな彼女が京都を立った。

満月で月食の日。

雪が降ったり晴れたり、不思議な日だった。

鼻の頭がツンとする位空気が冷たくて、澄んでいて。心地良い。

豪快、豪傑、声がデカイ、ウラハラなようだけど繊細で、だからこそ感性豊かで懐が深い。

常識や世間にとらわれない。本能を研ぎ澄まし、野生の勘がするどく、自分の奥で、ちゃんと判断を下せる人。

彼女は実体のないものは相手にしない。

目の前にいる、会った人をちゃんと見て、全身で感じて、愛し、パワーを注入する人。

イサギ良いのだ。

清々しいのだ。

彼女に会った人は、みんな一度はこんな人になりたいって思うんじゃないかな。

私は思ったよ。

全身全霊で生きて、曇りがないから、彼女のいる場所はたちまち明るくなる。みんな、なんか、すごく元気になる。

出会えてよかった!

たぶん、まちがいなく、どっちかが死ぬまで一緒にいると思う。

博多でもたくさん活躍して伝説作ってきて!!!!!

これからも、山瀬理恵子が大好きです。

最後に置き土産のように、これまた素敵な方々を紹介してくれたりっこに感謝!」

こうした出来事があったからこそ、今日という日を穏やかな気持ちで迎えられているのだと、日々、感謝の気持ちを忘れないように過ごしています。

 








祐一君、またまた偉業達成!コントレイルが菊花賞V 史上3頭目の無敗3冠馬に 父ディープに並ぶ
https://www.google.co.jp/amp/s/mainichi.jp/articles/20201025/k00/00m/040/064000c.amp

祐一君天皇賞制覇!2021年

2017年8月23日に発売となったアス飯レシピ。(京滋エリアは8月9日より京都新聞販売所にて先行発売開始)2014年の京都新聞朝刊毎週火曜日連載当初から、読者の皆様に温かく支え、大切に育み続けていただいたお陰で、京都新聞出版では異例の早さとなる増刷が決定致しました!料理本ジャンルの増刷はこれまで数える程しかないそう。(トークショーの中でふたば書房の洞本昌哉社長もおっしゃっていました)

出版社の宇野さんに増刷決定の電話がかかって来たのが京都・α-Station SUNNYSIDE BALCONYの本番直前。宇野さんと編集・構成ライターの山形さん、おにぎり部長の代行として、朝からマネージャーを担当してくださっていたナオさんとガッツポーズで悦びを分かち合いました!

先ずは1つ目の目標をクリア。継続して積み重ねていきます。

この場をお借りして、皆様に心より御礼申し上げます!

2017年10月3日の日記から

 

京都新聞出版センター宇野さん。出版が決まってからのハード&タイトスケジュールは、携わった方全員が、下手したら綿棒でつつかれるレベルで容易にグラつき泣けてしまうほど。著者である私は当然ながら、宇野さんも相当な仕事量とプレッシャーとの闘いだったと思います。(打ち上げの時に号泣されていました😹)本当にいつもどうもありがとうございます。頑張りますので、引き続きどうぞ宜しくお願いします!

 

編集・構成で、新アス飯スタッフとして入ってくださったオフィスKの山形さん。天然生活などでも執筆される、超多忙なライターさんです。

誕生日に綴った下記投稿の冒頭部分は、書籍構成を組んだ山形さんに向けて発信したもの。

●徒然
https://magicalrieko.livedoor.blog/archives/307241.html

 

新聞連載の「アス飯」を、独立した形状へと導き出してくださった方です。

今回、レシピ横がほぼ書き下ろしだったことに加えて、写真、コラム、レシピ、栄養説明の全要素を、日毎、分刻みに迫り来る締め切りに向け、1人で生み出さなければならない苦しみを味わいました。40年の人生の中で1番キツかった半年間です。

山形さんとは遠距離恋愛中のカップルのように何時間も電話でやり取りする日々。ラストスパートでは、昼夜PCに向かいすぎたのか、紙面を見直す手が震え、全思考が停止。あんな極限の感覚、一生忘れられないです😂

特に、山形さんの仕事量は通常の10倍近くはあったはず。御礼を何度言っても足りないです。本当にどうもありがとうございます!

 

京都新聞アス飯連載開始時(2014年4月1日から)にデスクだった岡本記者。私は外部ライターという扱いでしたが、互いの立ち位置ギリギリのラインまで懐に踏み込み、ガッチリ育てていただきました。俯瞰力がついたのは紛れもなく岡本デスクのお陰。アス飯書籍内では「こぼれ話」の執筆を担当されています。

 
 
 
 
 

3年間のアス飯連載の終盤を美しく締めくくってくださったのは国貞デスク。アス飯の企画発案者でもあります。

国貞デスクから、石の波紋のように広がり、素晴らしいコンテンツへと成長しました。たくさんの方の勇気に、力に、笑顔となって、果てなく広がり続けています。

 
 

●デザイン会社は「いろいろデザイン」さん。

http://sanowataru.com

荒削りな素材を丁寧に調理してくださいました。この場をお借りし、心より御礼申し上げます。