藤森中学校家庭教育講座

京都市立藤森中学校家庭教育講座レポート

㊗️ 京都府中学ラグビー夏季総合体育大会(10月21日)藤森中学校が昭和42年以来51年ぶり3回目の優勝を果たしました!

藤森中学校家庭教育講座にて、栄養講習及び調理実習に入らせていただきました!

藤森小学校や外部の学校からもご参加いただいたようで、また、京都新聞さんが取材に来てくださり、翌日直ぐに記事にしていただきました!本当にありがとうございます!

ご飯をいただいている最中でも、次々と手が上がり質問が飛び交います。スポーツに力を入れている学校とのことで、私が個人的に試しているようなストイック&マニアックな話にも大きく頷きながらメモをとられたりと非常に熱心。

帰り際の皆さんの笑顔や、いただいたたくさんのメッセージを拝見しますと、距離感が近かったことでより内容の濃い、充実した講座が出来たのではないかと、今は安堵感で一杯です。

役員の皆様には、講座の準備から調理実習の下ごしらえ&アシスタントの兼任、家庭科室は事前にピカピカに磨いていただいたとのことで、校長先生も大変喜ばれていらっしゃいました。

何から何まで甘えさせていただいた、最高のおもてなし空間。伺う前から大歓迎してくださり、皆さんお人柄が素晴らしく、明るくポジティブなところが何よりも素晴らしいと思ったところ。初めての場所なのに、まるで何度も伺ったことがあるような本当に懐かしい雰囲気で。お日様の下で朗らかに笑う校庭を背に、私の心はずっとポカポカしていました。

子供の頃、遠足の時は何日も前からワクワクしていたように、憂いなく、最後まで愉しく講座を務めることが出来ましたのは、皆様の懐の深さのお陰。武村PTA会長も、役員の皆様の配慮、ご活躍を大絶賛されておりました。

懇親会でも盛り上がり、何と!京都最終夜に伺ったわかばさんに、役員のお二方が遊びに来てくださり、乾杯までご一緒させていただくという!最後の最後までお付き合いいただきまして、本当にありがとうございます!

余談ですが私は、予防医学の講義内容(ケガ)から派生し、アテネオリンピックの選考にかかっていた浦和レッズ時代、2004年U23日本代表で、同じポジションだった松井大輔君の話を普段からよくします。

私の方は2008年に東京で初めて会食して以来、もう10年近く松井君にお逢いしていませんが、当人同士は、試合でも勿論会いますし、ご飯に行ったりも。

松井君は10代の頃から20歳以下の日本代表として一緒に闘って来た仲間&良きライバルです。

※同チーム、アビスパ福岡駒野君も同い年で、アンダーの日本代表の頃から一緒です!

功治は2002年9月に右膝前十字靭帯を断裂しました。1年のリハビリを経て復帰は出来たもののの、以前のパフォーマンスを取り戻すのに時間を要し、何とか代表にも復帰、選考に間に合いましたが、最終予選の最後の最後で、この世代のキャプテンを担っていた同チームの啓太(鈴木)と共に落選してしまいました。(レッズからは達也と闘莉王が選ばれました)

しかし松井君は、順当に選ばれ、アテネへ行ったので、当時はやっぱり、あの怪我さえ無ければといった後悔の念に苛まれ、非常に辛い、苦しい思いも経験しています。

松井君にはポジション争いで負けました、奥さんはローサちゃんだし色々差をつけられちゃいました、だからといって、松井君のこと、別に嫌いな訳じゃないですから!🤫といった自虐ネタエピソードを、まさか松井君の母校の藤森中学校で、負け犬の遠吠え的な、こんな話をするなんて夢にも思わなかったです笑、と、本音でお話したら、ドッと笑いが沸き起こり🤣校長先生や武村PTA会長も笑っていらっしゃいました😂

※松井大輔選手は今回家庭教育講座で伺った京都市立藤森中学校出身!また、藤森中学校のオファーをくださった椿堂茶舗(京都府京都市伏見区深草北新町635 書籍アス飯レシピ奥付掲載店🍵)五代目園主、現藤森中学PTA会長の武村龍男さんや

椿堂茶舗の歩み

[草創] 明治〜大正

元禄年間には赤穂浪士・大石内蔵助が山科閑居の頃、衣替えをしたと伝わる旅籠『椿屋』。 明治12(1879)年、初代園主・椿屋(武村)宗吉は紀伊郡(現京都市伏見区)深草村大亀谷にて抹茶、玉露の自園茶販売『玉椿園』を創業しました。 2代園主・武村彦次郎は桃山玉露を全国に広め、茶園は隆盛を極めます。 [変革] 大正〜戦後

3代園主・武村宗彦は太平洋戦時下の陸軍への食糧供給の為、茶園から菜園への改墾を余儀なくされました。屋号を『福椿園(武村茶舗)』と改め、品質本位の宇治茶販売につとめました。大本山東福寺、伏見稲荷大社などの社寺御用達を賜るなど、多くの皆様のご愛顧を頂いてまいりました。 [文化と交流]戦後〜平成

4代園主・武村敏弘は、店舗を現在の伏見墨染に移し、風流で自由闊達な煎茶道の世界に触れ、古今の陶磁器や茶道具の見識を広め、茶席の開催を行うなど煎茶文化の提唱と交流につとめました。

平成12(2000)年、店舗改装に伴い茶房『竹聲』を併設して、上質な日本茶のサービスと自家製和菓子の製造、オリジナル茶器の販売などを行い日本茶のさらなる楽しみを提案しています。2007年法人化に伴い屋号を『株式会社椿堂(椿堂茶舗)』と改変。 平成27(2015)年、伏見稲荷大社境内の『松の下屋』にて呈茶所を開設させて頂き、国内外からの参拝者に高級宇治抹茶と自家製和菓子のサービスを行なっています。 [伝承と普及] 未来へ

5代目園主・武村龍男は日本茶審査技術員(全国茶審査技術6段位・京都府茶審査技術4段位)、日本茶インストラクターなどの認定を受け、日本茶の伝承と普及活動を積極的に行なっています。全国50カ所以上で述べ300回以上の日本茶セミナー、講演会、茶席などのイベントを開催しています。

また国産原葉にこだわった『和紅茶』や『和龍茶』、復刻版『京都紅茶』の商品開発と販売、他社のPB商品などを手がけています。

酒房わかばの大将、五十嵐博文さん(京都府京都市伏見区観音寺町 桃山御陵駅のガード下 アス飯レシピ書籍44ページに掲載)も藤森中学校出身です!

酒房わかば

創業から50余年、長年愛されてきた伏見を代表する地元の居酒屋。この暖簾をくぐると活気溢れる賑やかな空間が広がる。名料理店で修業した大将の腕は、地元民がこぞって太鼓判を押すお墨付き。私自身も、大将に憧れているという料理人の方に、何人もお逢いしています。カウンター越しに覗き見る親子ならでは(お母さん)の掛け合いが最高。連日賑わう超人気店で、目の前のたこ焼き屋さん、ヤングリーフには大将のお父さんがいます。わかばが満席の時は、ヤングリーフでたこ焼きつつついて待つという流れを組む常連さんも。

藤森中学校の教職員の皆様、PTA会長の武村さん、役員の皆様、そして、ご参加くださった保護者の皆様に、改めて心より感謝申し上げます!