ドリブル哲学とブラジル留学


今シーズン、J2のレノファ山口FCでプレーした元日本代表MF山瀬功治。

開幕早々の第2節ブラウブリッツ秋田とのホームゲームでは、2000年のプロデビューから23年連続となるゴールを記録した。

エリア内での巧みなステップから、山瀬らしい左足での正確なシュート。変わらぬ技術の高さとゴールセンスが発揮された見事なゴールだ。

そこでQolyは、プロ23年目を終えた41歳のMFを直撃!

https://youtu.be/hNCtSXyA0LA

インタビュー第1弾となる今回は、今年レノファ山口へ加入した経緯や、ブラジル留学など10代の頃の話、持ち味であるドリブルなどを中心に聞いた。記事ではその一部を紹介する。

(取材日:2022年11月1日)

――(前略)山瀬功治選手というと、ドリブルがすごく印象的で、しかもどちらかというと中央でのドリブルというイメージが強いです。以前はそういう“トップ下的なドリブラー”が結構いたと思うんですけど、今はサイドで仕掛けるみたいなのが主流になっています。そういった時代の変化を感じる部分はありますか?

ドリブルということだけに限らずですけど、時代の変化は間違いなくありますよね。フォーメーションだったりサッカーの戦術を含め。

僕が子供の時から学生時代、プロ、新人の頃を考えても、やはり大きく変化しているかなというところはあります。

現代サッカーは、いかにして守備側がボールを追い込むか。ボールサイドのスペースを圧縮して、できるだけ狭いスペースでボールを奪い取る形に持ち込むかとか、そこへ入ってきたら奪いとるといった形でやっています。

当然ですけどスペースがないわけですから、ドリブルはなかなかしづらい部分があるので、必然的にサイドにそういうものが行くのは仕方がない部分もあるかなと思います。

――今の時代だったら「自分はこんな選手になっていたかも」みたいな想像はいかがでしょう?

現代サッカーで、僕が若い時だったらということですよね。

でも、僕はドリブルをよくしていましたけど、あれも別にドリブルをしたいからしていたというより、ゴールに向かう手段の一つでした。

自分がいかにしてシュートを打つか。だからもともとは裏への抜け出しやラストパス、2列目から飛び出して最後のフィニッシュにかかるところを常に意識してやっていました。

それがある時、横浜F・マリノス時代ですけど、フィニッシュを打つ形に持っていくのにドリブルがあったというだけなんです。

もし今のサッカーでやっていたとしても、サイドで受けてそこからドリブルをするというより、よりゴールに近いところでプレーをする形のほうが多かったかもしれないですね。

だから、今のフォーメーション、色々ありますけど、下手したら1トップとかもやっていたかもしれないです。どちらかというと。

動画では他にも、今シーズンの自身のパフォーマンスや、山口加入の経緯、札幌時代に一緒にプレーしたこともある名塚善寛監督との関係、左足のスキルの高さ、さらには中学時代のブラジル留学で「何をしていたか」など、たっぷり聞いているのでそちらもぜひ!

なお、山瀬は今週末、11月20日(日)に開催されるオシム元監督追悼試合に「オシムジャパンレジェンド」として出場予定。

オシムジャパン初戦で日本代表デビューを飾った彼に、当時の思い出やオシム氏から“受け取ったもの”などを聞いたインタビュー第2弾はYouTubeの『Qoly公式Ch.』にて近日配信予定なのでこちらもお楽しみに。

https://youtu.be/hNCtSXyA0LA

#山瀬功治